旧東京医学校本館

(東京大学総合研究博物館小石川分館)

東京都文京区白山3−7−1


旧東京医学校本館 平成17年10月1日

重要文化財・旧東京医学校本館

東京大学現存最古の学校建築で、赤門とともに国の重要文化財に指定されている。
1876(明治9)年に東京医学校本郷キャンパス(現在の本郷キャンパスの前身)の中心建築として創建された。
当時は奥行・屋根とも現状より大きく、四面に時計を配した象徴的な塔屋をのせていた。
本郷界隈のランドマークとしても親しまれ、教室・病室のほか総長のオフィスとしても使われた。
設計は東京医学校営繕掛である。
当時の東京医学校は、校長が長与専斉、教官筆頭が三宅秀で、営繕掛筆頭が西郷元善、その下に旧幕府棟梁甲良氏の同居人平山善三郎がいた。
1911(明治44)年に赤門のすぐ脇へ移され、史料編纂掛が入った。
このときに塔屋は通気口へ、窓枠は西欧の古典主義様式風へ、手摺は日本の擬宝珠高欄形式風へと改造され、ほぼ現状の姿となった。
二階部分の赤色塗装は附近の赤門や医学部煉瓦造校舎群を意識したものか。
耐火書庫として併設された煉瓦倉庫が、現在も赤門脇に残っている。
1965年に本郷で解体、69年に小石川へ移築再建され、「標本館」と名づけられた。
2001(平成13)年11月に総合研究博物館小石川分館(学校建築デジタルミュージアム)として一般公開され、現在に至っている。

開館日:木・金・土・日・祝日
開館時間:午前10時〜午後4時30分
交通:東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅徒歩8分

(パンフレットより)

旧東京医学校本館 旧東京医学校本館

「小石川植物園」に隣接しています。
館内は原則として写真撮影禁止。
個人の趣味の範囲ならば撮影許可がその場でもらえますが、ホームページ等への使用の場合は館長の許可が必要となるそうです。
館内には医学・自然(動物・植物・鉱物)・建築・工学の4つのテーマに従った展示物がありました。

(平成17年10月1日)

東京大学大学院理学系研究科附属植物園(通称:小石川植物園)

【概要】
「小石川植物園」と呼ばれ親しまれている本植物園は正式には国立大学法人東京大学大学院理学系研究科附属植物園といい、植物学の教育・研究を目的とする東京大学の教育実習施設である。
本植物園は日本最古であるばかりでなく世界でも有数の歴史をもつ植物園のひとつで、今から約300年前の貞享元(1684)年に徳川幕府が当地に設けた「小石川薬園」に源を発しており、園内には本植物園の長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構がある。
面積は161,588u(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地など地形の変化に富み、これを利用した多様な植物配置が行われている。
本植物園は日本近代植物学発祥の地であり、今日も自然誌を中心とした植物学の教育・研究の場となっている。

(リーフレットより)

関東大震災記念碑


関東大震災記念碑

(植物園内)





(平成17年10月1日)

関東大震災記念碑
大正12年9月1日の関東大震災によって東京市内は大きな被害を受け、焼け出された市民3万人以上が一時的に植物園に避難しました。
その一部は園内の震災救護所でさらに長期にわたる避難生活を送りました。
大正14年1月に最後の居住者が退去し、有志によってこの記念碑が建てられました。
(説明板より)

甘藷試作跡


甘藷試作跡
(植物園内)





(平成17年10月1日)

甘藷試作跡
青木文蔵(昆陽)は、江戸付近でも甘藷(サツマイモ)の栽培ができるならば、利益も大きく飢饉の時の食料作物としても役立つと考え、享保20(1735)年に幕府に進言し許可を得て、この地で栽培を試みました。
この試作は成功し、やがて全国的に甘藷が栽培されるきっかけとなりました。
大正10(1921)年にこの業績をたたえる記念碑が建てられました。
(説明板より)

旧養生所の井戸



旧養生所の井戸

(植物園内)




(平成17年10月1日)

旧養生所の井戸
小石川養生所は貧困者のための施療所で、町医者小川笙船の意見により、享保7(1722)年にこの場所につくられ、明治維新の時に廃止されるまで続きました。
この養生所の井戸は水質が良く、水量も豊富で、大正12(1923)年の関東大震災の時には避難者の飲料水としておおいに役立ちました。
(説明板より)


 (関連商品のご紹介)

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