マニラ海軍防衛部隊の戦跡

(マニラ・リサール公園)


5月9日(第4日目・最終日)


6時半起床。今日の午後には日本へ帰らねばならない。
あっという間の4日間でした。
チェックアウトの時間は10時。
このまま部屋にいても仕方がない。
ホテルのすぐ近くの”リサール公園”を散策することにしました。

ホテルの窓から見た景色 ホテルの部屋から見た公園

このリサール公園(Rizal Park)は昔は”ルネタ公園(Luneta Park)”と呼ばれていました。
写真右手前の緑色の屋根の建物が観光省(旧・農務省)です。
その向こうに見える円柱の柱が並ぶたてものが国立博物館(旧・議事堂)です。

リサール公園周辺は、マニラ市街戦の最後の激戦地です。
マニラでは海軍第31特別根拠地隊を中心として、陸軍部隊を含め約2万名が岩淵三次少将のもとに戦いました。
昭和20年2月に米軍がマニラ市内に突入。1ヶ月でマニラは陥落。この公園周辺で約9,000名が戦没しています。

ホテルの窓から見た景色 ホテルの部屋から見た”リサール公園”
上の写真の左に繋がります。

写真左端の高い建物が”マニラホテル”です。

早朝だから少しは涼しいかと思ったら大間違い。
蒸し暑い・・・汗が噴出す。

旧農務省 旧・農商務省

現在は観光省(Depertment Of Tourism)
になっています。
ここにはマニラ海軍防衛隊本部が置かれていました。
昭和20年3月に脱出不可能となった岩淵少将がこの建物の中で自決しました。
旧議事堂 旧・議事堂

現在は国立博物館(National Museum)になっています。
ここも日本軍の抵抗拠点でした。
陸軍臨時歩兵第3大隊の本部が置かれていました。

当時、地下室は国立図書館も兼ねており、米軍の焼夷弾攻撃により貴重な文献が灰になってしまったそうです。
日本庭園 日本庭園(JAPANESE GARDEN)

リサール公園の一角に日本庭園がありました。
入園料5ペソ(10円)
何故ここに日本庭園があるのか、由来を記したものは何もありませんでした。
慰霊碑でもあるかと思ったのですが・・・・・
それにしても・・・・どこが日本庭園なんだろうか?
ただ池があるだけの庭なんですけど・・・・

この日本庭園のところで、ポールというオジサンが「オハヨ〜ゴザイマ〜ス!」と声をかけてきました。
日本語はそれしか話せないそうで・・・・
結局、朝から英会話。
「私は英語専門のガイドなんだけど、英語がわかるのなら附近を案内しようか?」と言う。
しかし、私はもうホテルに帰らねばならない。
ガイドはお断りして、ここで日本軍が戦ってた話など歴史の話などをする。
彼も歴史に詳しいらしく何だかんだと話が盛り上がりました。
「今度マニラに来たらガイドさせてくれ」と言って無理矢理私の手帳に住所と電話番号を書かれてしまったぁ〜
「このあたりに日本に関するものが何かないか?」と尋ねたら・・・・
「パコ駅のところに日本の何かがある。なんだか知らないけど、日本のものだ」と言う。
これは是非確かめに行かねばなるまい。

ホセ・リサールの像

リサール公園のホセ・リサール(Jose Rizal)の記念碑です。
朝から衛兵が守っています。
リサールはスペイン統治時代のフィリピン独立の志士で、ここで処刑されました。

ブラブラしているうち、あっという間に時刻は9時を過ぎています。
ヤバイ。ホテルに戻らねば・・・・
それにしても蒸し暑い、蒸し暑い。服は汗でびしょびしょです。

10時、チェックアウト。
エルニーがやってきて、続いてドミンとドライバーが迎えに来てくれました。
ここで、クラークでのドミンが立替えていた彼の宿泊代と夕食代を支払う。
ホテル代500ペソ(1,000円)、夕食代172ペソ(344円)。
ドミンの日当とクラークでの彼の宿泊代と夕食代は私もちです。
ドライバーの分は既に私の旅費に含まれています。
ドミンからはいつものように彼が撮ってくれた写真をいただきました。
チップに1,000ペソ(2,000円)あげました。
更にカメラの中にフィルムが残っているので、空港に着くまでの間に写真を撮って私にくれると言う。
ありがたい。

 


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