(パコ駅)
平成16年5月9日(第4日目・最終日) |
4人で車に乗って、いざ出発。
リサール公園での話をして、パコ駅に何か日本に関するものがあるらしいからまわってくれる様に頼む。
またもや予定外の行動です。
20分弱走ってパコ駅前に到着。
パコ駅前
なんと!パコ駅前に銅像が!
高山右近の銅像です。
ここは昔、デラオという名の町で、日本を追放されたキリシタンの高山右近が一緒に追放された百数十名の日本人キリシタンと共に、ここに日本人居留地を作ったそうです。
それで、ここに銅像があるのですね。
エルニーの話によれば、そういうわけなので、この町には日本人の血を引くフィリピン人が多くいるのだそうです。
ちなみに、このパコですが、戦時中はマニラ海軍防衛隊の第1大隊約990名が布陣していました。
写真の後に見えるパコ駅に大隊本部がありましたが、駅舎は焼け落ち、脱出できなかった多くの負傷兵が自決しました。
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銅像の後に『高山右近の墓』があります。 本当にお墓なんだろうか? この下に高山右近が眠ってるの? |
ちょうど銅像の写真を撮っていたら、通りかかったオジサンに「ア〜ユ〜ジャパニ〜ズ?」と声をかけられました。
すぐ側に日本のモニュメントがあるから、それを見ていけと案内されました。
それにしても、私は何でこんなに人に声をかけられるんだろうか?
どうせならオジサンではなく若い女性に声をかけられたいものだ・・・・・
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日本人移民100周年記念に建てられた『日比友好の塔』 ”両国が今後一層友好を深めることを願う”と刻まれていました。 2003年12月建立 ここで、疑問が・・・・ 高山右近がここに来たのは400年ぐらい前のことだと思うんですけどね。何で、日本人移民100周年なんだろうか? 移民とは高山右近たちキリシタンのことではないということか? 別の人たちを指しているのかな? |
※「さぁぷらす戦史図書館」の佐藤様からご教示を戴きました。
日本人移民100周年とは、明治政府が推進した移民政策で移民した人たちを指しているのだそうです。
(平成16年5月23日追記)