(バターン半島)
平成16年5月7日(第2日目) |
サンフェルナンドで高速を降りて、ここから一般道を走ります。
この道は『死の行進(Death March)』で有名な道です。
昭和16年(1941)日米開戦と同時に日本軍はフィリピンを攻略したのですが、この時バターン半島に立てこもった米軍・フィリピン軍を2次にわたる攻撃で陥落させたわけです。
そして、約75,000名の捕虜がこの道を歩いてサンフェルナンドへ向かったのですが、その間にバタバタと捕虜が死んでいったわけですね。
時は4月のこと・・・・今と同じくらいの暑さかな?
う〜ん、この暑さの中を歩かされたら・・・・確かに死ぬかも。
サマット山(Mt.Samat) 山頂には大きな十字架が建っています。 第1次攻略戦の時の第65旅団が進撃した方向から山を見ました。 |
約1時間半ほどでサマット山の登山口に到着。
『平和之塔』 登山口脇の空地に建っています。 京都比島桃陵遺族会と垣兵団(第16師団)戦友有志によって1986年に建立されたものです。 |
登山道(車で登っていけます)の中腹にある『慰霊碑』 日本語で「観音様とマリア様 巡礼地」という看板が掛けられています。 左が観音像、右がマリア像。 1981年に松山歩兵第122連隊と配属部隊の戦友が建立されたものです。 |
頂上に着くとゲートがあり、入場料を払います。
3人で80ペソ(160円)、外国人は30ペソでフィリピン人は25ペソらしい・・・・
山頂の十字架 中には小さなエレベーターがあって上まで行けます。 エレベーター代は一人10ペソ(20円)でした。 この十字架の高さは92mとのことですが、一説には100mを越しているという話もあります。 92mは展望台までの高さなのかな? どこにも高さが明記されてないのでなんとも言えません。 |
十字架の横の部分が展望台になっています。 小さな窓が空いていて風がビュービュー吹いています。 ここに来て思い出しました。私は高所恐怖症だったんだ! この横の張り出しは約15mあります。 一番端の丸窓のところへ行って・・・ポキッと折れたらどうしよう! そればかり気になって外をじっくり見るどころじゃありません。 |
展望台から見た景色 第2次攻略戦の時の第4師団が進撃してきた方面を見る。 第4師団は昭和17年4月5日に、このサマット山の山頂を占領しました。 |
巨大な十字架の展望台を降りて、切符売りのおじさんに「パンフレットとかないですかね?」と尋ねたら、アゴで机の上にある本を”指示”された。
ん?なんだぁ〜その態度!
値段を聞いたら100ペソ(200円)なり。高いなぁ〜
英語のパンフレットでしたが、とりあえず購入。
それにしてもあの態度。感心しねぇなぁ〜
十字架の下に『博物館』のような建物があります。 地上に出ている白い建物は、どちらかと言えば米軍の戦勝記念モニュメントです。 参加した米軍部隊の大きな”部隊マーク”などが貼り付けてあります。 この建物の地下に博物館(資料室)がありました。 |
地下の”博物館”は、展示物の説明板を読むのにも苦労するぐらい薄暗かったです。
ここには米軍と日本軍の兵器類が展示されていました。
「写真撮っても大丈夫かな?」とドミンに尋ねたところ、首を横に振られてしまった。
もしOKが出ても、暗すぎて良い写真は撮れなかったでしょうが・・・・
もう少し明るくしてくれないかねぇ〜
ここでもパンフレットを購入しました。100ペソ(200円)。
机の上に放置されていたのを見つけて、外でおしゃべりして怠けていた係員を呼んで購入。
「これには絵葉書が1枚付いているから100ペソです。」とかなんとか、値段が高い言い訳を言っていました。
外に日本軍の大砲が1門展示されていました。 『JAPANESE PACK HOWITZER 70MM』と書いてありました。 これは九二式歩兵砲ではなかろうか? そうだとすると説明板は間違っていることになります。 HOWITZERは榴弾砲という意味ですからね。 歩兵砲なら”INFANTRY GUN”と表示せねばなりますまい。 ドミンには「随分ちいさな大砲だねぇ〜」と笑われちまった。 |
向こうに見えるギザギザの山がマリベレス山(Nt.MARIVERES)です。 サマット山の南にある山です。 写真では随分遠くにあるように見えますが、実際にはもっと近くにあるように見えます。 昭和17年4月10日に第2次攻略戦で第65旅団がこの山の山頂を占領しました。 |
さて、またまた時間を使いすぎてしまった。ここだけで軽く1時間は滞在しているのです。
すでに時刻は4時!
これでも急いで見たつもりなんですけどねぇ〜
駐車場まで戻ってきたらドライバーは呆れ顔。
「もういいの?じゃ、真っ直ぐマニラに行くよ」
するとドミンが言いました。「この近くに日本のモニュメントがあるんだけど・・・」
ん?日本のモニュメント?「行こう!行こう!是非とも行ってみよう!」
完全に開き直って予定外の行動です。
サマット山を降りて、西の方へ向かいます。
30分ほど走るとバガック(BAGAC)へ行く道とバランガ(BALANGA)へ行く道の分岐点に到着。
ここにありました。モニュメント。
これは『フレンドシップタワー』という名前のモニュメントです。 立正佼成会によって1975年に建てられたものです。 |
碑文 |
フレンドシップタワーは、日本の在家仏教団、立正佼成会がバターン州政府の協力を得て、1975年4月8日に完成した。 このタワーは、第■次世界大戦全戦没者と、平和に捧げるものであり、人類が平和を希求する象徴である。 日比両国の人びとの力をあわせた努力は、互いの文化・政治・宗教を越えて自他一体感を抱くにいたり、仏教の慈悲とキリスト教の愛が一つであることを世界に示した。 行きて世界に告げよ。 世界平和に向けての歩みがこの聖なる地から始まらんことを 1985年4月8日 |
※■は碑文に刻み込むのを忘れていたのでしょう。”2”という文字が抜けていました。
※碑文の日付は1985年、文面では完成は1975年、どちらが正しいのか・・・・1975年でしょうね。多分。
タワーには日本の鐘がぶら下がっています。 このタワーは”鐘楼”ですな。 ドミンの話では、昔は”鐘つき棒”があって、鐘を鳴らすことが出来たが、今は、その棒がないので鳴らせないと言っていました。 ”棒”はどこへ行ってしまったのやら・・・・ |
私たちがここを見学中に、車がどこかへ行ってしまった。ガソリンを入れに行ったらしい。
”どうせこいつは長くいるんだろう”ということで出かけてしまったらしい・・・・
しかし・・・夕方の日差しは思ったよりキツイ。汗がダラダラと流れます。
早く戻って来〜い!
4時40分過ぎ、元来た道を戻ってマニラに戻ることにしました。
途中、路肩でマンゴーを売っていたので購入。
「ここのは甘くて安いんだ」とドミンさん。
マンゴー6個で1kg。値段は20ペソ(40円)でした。うん、安い!
後にホテルに着いて冷蔵庫で冷やして、このマンゴーを食べましたが甘くて美味しかったです。
私はマンゴーは好きじゃないんですけどね。これは食べられました。
美味なり!美味なり!