改造三八式野砲と記念碑

(アルブエラ~パラナス)


平成17年(2005年)5月6日

コンクリートハウスを辞して20分ぐらい走っただろうか・・・・
更に南下してアルブエラ(ALBERA)の町にある野砲を見に行きました。

野砲のある公園 野砲が展示してあるシティホール脇の「G.B.ZALDIVAR PARK」という名の公園です。
この公園の中には銅像が建っていますが、この人がZALDIVARという人で、1964年~1984年の間、この町の市長をしていた人です。

昭和19年11月~12月当時はアルブエラ方面には第26師団が展開していました。

公園の中の2門の野砲 公園の中の2門の野砲

昭和19年12月8日現在では、アルブエラ付近には歩兵1個中隊、野砲4門、山砲3門、工兵3個中隊、合計約400名がいたといわれています。
この時の野砲4門の内の2門が、この砲なのだろうか?

公園入口右側の砲 公園入口右側の砲

砲身が裂けているのは自爆したためでしょう。
この砲には『昭和7年改造317』という銘板が付いていました。
その下に書かれていた文字は薄れていて判読不明。
多分、造兵廠の名前じゃないかと思うのですが・・・・
公園入口左側の砲 公園入口右側の砲
公園入口左側の砲 公園入口左側の砲

右側の砲と同じものです。
同じように砲身が裂けています。
砲架の形がY字型なので、これは改造三八式野砲ではあるまいか?
公園入口左側の砲 公園入口左側の砲

とにかく暑い~
マニラでは37度~38度らしいのだが、ここレイテ島は体感温度40度かな~
少し外に出ているだけで喉が渇く。
どこかでミネラルウォーターを・・・・
海岸まで出て休憩しよう!
海岸のお店で少し休憩。
ドライバーに色々話しかけるのだが、ろくな返事が返ってこない。どうもご機嫌が悪いようだ。
さっさと車に戻ってしまった。
仕方がない・・・・じゃぁ~出かけますか。時刻は2時半。

フィリピンが建てた記念碑? フィリピンが建てた記念碑?

行き先はドミン任せだから、次にどこへ行くのかわかりません。
「この近くにモニュメントがあるから・・・」とドミンが言うので行ってみることにしました。
パラナス(PALANAS)という部落の近くらしい。
ということは・・・アルブエラから少し南に行ったあたりだろうか?車で10分ぐらいだったかな・・・
ここの道路の脇に白い記念碑が建っていました。

記念碑? WORLD WAR Ⅱ VETERANS MONUMENT MARKER

ん?これはフィリピンが建てた記念碑か?
ここに書かれている文字は全て英語。
ここを訪れたフィリピン軍人達の名前が刻まれていました。
更にこの碑の裏側にはここに訪れた日本の慰霊団団員の名前も英文で刻まれていました。

記念碑(?)には次のように書かれていました。
WELCOME TO ALL TOURIST VISITOR & PARTY
BY ARUBUERA NORTH POST OFFICERS
ということは・・・『アルブエラ北部駐屯地士官一同』(という意味でしょう)によって建てられたという事なのか?
(まさか『アルブエラ北郵便局職員一同』では話がおかしいもんね)
そうなると・・・ここはアルブエラの北?
いやいや、そんなわけないなぁ~
人任せにしていると、こういうことになっちゃうんですよね。
地図なしでドミンの記憶に頼って動いてるわけですから・・・・
北に向かったのか南に向かったのかわからない・・・

WORLD WAR Ⅱ VETERANS MONUMENT MARKER
THIS VETERANS MONUMENT MARKER OF WORLD WAR Ⅱ,IS DEDICATED TO THE SOLDIERS WHO FOUGHT IN THIS AREA FROM NOVEMBER 23 TO DECEMBER 9,1944 IN THE BLOODY BATTLES OF THE RIDGES AND HILLS OF SITIO PALANAS,ALBUERA,LEYTE WHERE THOUSANDS OF SOLDIERS PERISHED FIGHTING FOR THE PRINCIPLES OF THEIR RESPECTIVE COUNTRIES.
THE JAPANESE 26TH DIVISION UNDER LT.
GENERAL SOSAKU SUZUKI HAS ANNIHILATED BY THE U.S.7TH DIVISION UNDER MAJOR GENERAL ARCHIVALD V.ARNOLD AIDED BY FILIPINO SOLDIERS GUERILLA.
MAY THIS MARKER SERVE AS A LASTING REMINDER THAT THERE IS NO SUBSTITUTE FOR PEACE AMONG NATIONS.

この白い記念碑はアルブエラ在住の米比軍生存者(当時のゲリラ)が建てたものだそうで、後方の丘は「バラナスの丘」と呼ばれた場所で、第26師団(泉兵団)の斉藤支隊が、この丘をめぐって激しい争奪戦を展開したそうです。
丘の頂上には無数の塹壕跡があり、戦後、多くの遺品が回収されたそうで、この丘に泉兵団遺族会が建立した慰霊碑があるそうです。
(平成17年7月にHPを訪問してくださった重松様からの情報)

(平成18年1月8日追記)



     


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