神風特攻基地

(マバラカット)


午後5時過ぎ、やっとこさマバラカットに到着。
この頃にはさすがのドライバー氏も眠くて仕方がないらしい。
途中、何度も車を止めて水で顔を洗って眠気覚まし。
連日の強行軍で疲れもピークなのか・・・・

マバラカット東飛行場跡

1991年のピナツボ火山の大噴火により、この周辺は火山灰に埋れてしまいました。(多分2メートル以上は埋まってるでしょう)
周りは火山灰の広大な野原。
どこに飛行場があったのやら・・・・
噴火前には特攻隊員達が昼寝をしたりした土手などが当時のまま残っていたそうですが、今では火山灰の下。
なんとも残念。
日本の鳥居を模した特攻隊の慰霊(記念)碑

2年前に訪れた時は建設中でしたが完成したようです。
ここには噴火前から地元の人達の手で作られた慰霊碑があったのですが、火山灰に埋れたため再度立派なものを作り直したとか。
この除幕式には日本側からは誰も参加しなかったという話が一部では出ているようですが、関係者の話では実際には日本側から200名以上の方々が出席されたそうです。
また、毎年10月25日には日本の関係者がここで慰霊祭を執り行なっているそうです。
(平成15年9月15日関係者からの指摘により修正加筆いたしました)

この慰霊碑には英文と日本文の説明が書かれているのですが・・・・(写真右側のところ)
しかし・・・この日本語が奇妙な形(文字)なんですねぇ。
どうも日本語で書かれた文章を現地の人が見よう見まねで書き写したようなのです。
だから漢字の形がデタラメ。(笑)
さすがの私も読めない”漢字”があるぅ〜
でも地元の人達の気持ちは伝わってきます。有難い、有難い。

なんとか解読して、そのまま下に書いてみましょう。


碑文(説明)
神風東飛行場平和記念碑
本場所は第二次世界大戦中、日本最初の神風特別攻撃隊が飛び立ったマバラカット東飛行場の跡である。
1944年10月20日、神風特別攻撃隊は海軍中将大西瀧治郎により此処ルソン島パンガ州マバラカットに於いて創設された。関攻撃隊の最初の志願隊員は、当時マバラカットに駐留していた日本帝国海軍第一航空艦隊・201航隊に所属する玉井浅一中■下の2特3名のパイロット達であり、敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊に分けられ、関行男大尉が全体の隊長に任命された。
1944年10月25日 朝7時25分、関行男大尉は中野磐雄一飛曹、谷暢夫一飛曹、■■■飛長及び大黒■男上飛の敷島隊を率いてこの東飛行場から飛び立った。
同日午前10時45分、レイテ島沖の米機動部隊に対し同■隊は攻撃を開始、関隊がまず最初に米空母セント・ローに体当たりた。同艦は炎上、20分後に沈没した。20分後に沈没した。他の隊員も全員体当たりを果たし、米空母カソニソ・ベイ、サン、サンイースワニー及びホワイト・ノレーンを大壊あるいは中破させ、米軍に多大の損を与えた。成功裡に終わったこの最初の神風特別攻撃は当時敷島隊を空から掩護・誘導した西澤広義飛曹長ー103名の米軍撃墜死が確認されている、日本の撃墜王と言われ名パイロッーにつて目撃報告されている。
(注記)
マバラカット観光局が神風平和記念■の■立を推進した理由は、神風特別攻撃隊の栄光を賞賛する為ではなく、その歴史的事実を通じて世界の■■に平和と友好の尊さを訴える為である。
神風平和記念■が神風特別攻撃隊のような不幸な出来事を二と繰り返さないと誓う場所となることを祈念するものである

マバラカット観光局長
ガイ”イソドラ”ヒルベロ


■は判読不明な漢字らしき文字です。誤字脱字、繰り返しなどもありますが、おおよそ内容はわかりますよね。
この文字一つ一つに暖かさを感じるんですよねぇ。私は・・・・

   

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