(クラーク〜マニラ〜モンテンルパ)
5日目の朝。
迷彩服の米海兵隊員たちの中に混じって朝食をとる。
やっぱり落ち着かないねぇ。
7時50分チェックアウト。
ここからマニラまでは93キロほどあります。
今日はマニラを通過して、マニラ南方のモンテンルパまで一気に走ります。
ところが・・・高速道が大渋滞。何で?
トロトロとしか走らない。仕方がないので途中で降りて高速道と平行に走る一般道を走りました。
今日もハードスケジュール。時間がない!
渋滞が消えてるあたりを確認して再び高速道に乗って一路マニラへ。
混雑しているマニラを抜けて、やっとモンテンルパに到着したのは12時でした。
ニュービリビット刑務所 敗戦後一時期、山下奉文大将(第14方面軍司令官)が収監されていました。 この刑務所は現在でも使われています。 |
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刑務所の裏にある「モンテンルパ世界平和祈念公園」 ”モンテンルパ日本人祈念墓地墓地公園保存会”が建立・維持しています。 ここはモンテンルパで処刑された日本人の慰霊を兼ねて作られた小さな庭園です。 |
ここで、この公園の管理人さんから、色々お話を伺いました。
日本語が上手な方だと思ったら日本人の方でした。
5日目にしてやっと日本語が話せる!(笑)
ついついおしゃべりが過ぎてしまいました。
戦犯で処刑された方々の慰霊堂 彼らが埋葬されていた時の白い墓石が置いてありました。 荼毘に付した時の残灰が納められているとのことです。 |
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処刑された方々の写真 この中には明らかに冤罪だった人もいたとか。 写真の真ん中の列の真ん中の人が比島軍事裁判処刑第1号として昭和23年に処刑された工藤忠四郎氏。 (この写真には”陸軍大尉”と記載されています) その後の2年間は処刑がなく、昭和26年に突然14名(写真の残りの人)達が処刑されました。 何で・・・・・ |
ここでは”管理費”名目で200ペソ(480円)を支払います。
彼ら”戦犯”が処刑された処刑台があった付近です。 処刑台跡は跡形もなく消え去っているので場所の特定は出来ませんでした。 ドミンも昔来た事があるそうですが、ずいぶん昔のことなので忘れてしまったとのこと。 何もない荒地は当時と変わっていないのですが・・・・ |
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この窪地は処刑された方々が埋葬されていた跡だと言われています。 ご遺骨は日本に還っているとのことです。 |