泊めてもらえるか?

(バレテ峠〜サンタフェ〜イムガン〜マリコ村)


10時45分、バレテ峠を出発し、更に北上すること約15分。
左手にレストハウスのある小さな公園が見えます。
ここには日本軍の大砲があります。

日本軍の大砲 DPWH RESTHOUSE
PEREZ PARK

ドミンの話では、この大砲は戦車第2師団のものだというのですが、確証はありません。
洞窟陣地跡 この場所には洞窟陣地跡も残っています。
中に入ってみましたが、内部はかなり広かったです。

ここをちょっと見学して、更に北上、峠道を下って行くと、すぐにサンタフェの町に着きます。
ここは5号線上の昔からの宿場町。
戦時中はマニラから大量の物資や在留邦人たちがこの道を北上して逃げていったわけです。
その時間稼ぎのためバレテ峠には追及してくる米軍を迎え撃つため第10師団(鉄兵団)を、西からこのサンタフェに突っ込んでくる米軍を迎え撃ち、避難のための時間稼ぎのためにサラクサク峠に戦車第2師団(撃兵団)が配置されたのです。

サンタフェの町 峠道の途中から見下ろしたサンタフェの町
手前は乾季で干上がった川です。
画面の左が南、右が北、向こうの山の方角が西になります。
我々は橋を渡って左折(西)して山のほうへ向かいます。
サンタフェの昼食 11時半。少し早めの昼食をとりました。
この周辺では、この町以外に食事の出来るところはありません。
食事は揚げた魚、何かの肉の煮物、野菜の煮物等をご飯に載せて、混ぜて食べます。
喉を通らなそうな時はミネラルウォーターで胃袋へ流し込みます。(笑)
ここで食わねば餓死するとばかり、私はパサパサのご飯を3杯もおかわりしましたが・・・
3人分で175ペソ(420円)でした。安い!
イムガン部落 サンタフェから山に入ること約30分。
イムガンという部落を通過しました。

2年前はここで”ジプニー”(旅客用に改造したジープ)をチャーターして登りましたが、今回は道が少し良くなっているので、このままワゴン車で登ることにしました。

イムガンは戦車第2師団の戦闘指揮所・連絡所があった小さな部落です。当時は4〜5軒しか家がない部落だったそうですが、今では数十軒の家が建っています。

今日の最大のテーマはマリコ村に民泊出来るかどうかです。
その結果によっては、今日から明日にかけての予定を大幅に変更しなくてはなりません。
そのため2日目と3日目の宿泊先は未定にしておいたのです。
もし駄目な時は1時間以上かけてサンタフェまで戻り、そこで宿泊先を見つけるか、更にサンホセまで戻ってホテルに泊まるか・・・

ドミンが翌朝の朝食を買い込んで、それを持ってオマリオ氏の家に頼み込もうと言い出しました。
そんなことで、お願いできるのかな?
とにかくサンタフェの町でパン、ソーセージ、コンビーフ、コーヒー、ミルク、砂糖などの食料品を買い込みました。
何だかんだで172ペソ(413円)なり。

サンタフェの町でガソリン補給。
1リットル当たりの値段はディーゼルガソリン16.65ペソ(40円)、レギュラーガソリン21.75ペソ(53円)でした。
ドライバーの話では田舎はマニラからのガソリン輸送費が上乗せになるので少々高いとのこと。
それでも日本より安いなぁ。

イムガンからマリコ村への道 イムガン部落からマリコ村に向かう道です。
こういう道をガタゴトと車に揺られながら1時間以上かけてマリコ村に向かいました。
路肩は弱く、一歩間違えれば谷底へ・・・という場所が何箇所もあります。

ルソンの地図

   


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