捜索第10連隊の戦跡

(マリコ村〜サンホセ〜サンニコラス〜カバリシアン)


お昼をオマリオ家でご馳走になって出発。
奥さんには、お礼に1,000ペソ(2,400円)を手渡しました。

こういうのは難しいですね。
いくらぐらい渡せばよいのか・・・・相場っていうものがないでしょ?

我々が今日はバギオまで行くということを話したところ、オマリオ氏と彼の兄弟がバギオに用事があるので是非乗せてくれというので、一緒に出かけることになりました。
ワゴン車だからね。座席は充分空いてます。

お昼に出発して南下してサンホセまで戻り、今度は西に向かって走ります。
大きくUターンする感じ。

4時間、車に揺られてサンニコラスに着きました。

サンニコラスの町の”プラザ”(中央広場)です。

ここは昭和20年1月26日からサンマニュエルで米軍に撃破された戦車第2師団所属の重見旅団の後退部隊を祖父の捜索第10連隊が収容した場所です。
ここから画面の右側の道をまっすぐ10分ほど進みサンタマリアの部落を過ぎると連隊本部のあったカバリシアンに着きます。

涼しい山岳地帯から平地に降りたら・・・・猛暑!
暑いのなんのって。

ここがカバリシアン。

ここがサラクサク峠の西の登口になります。
手前の砂地は乾季で干上がった川です。
プンカンで陣地構築は不利と見た捜索第10連隊はここに陣を敷きました。
画面の白い看板の右側に昔は道があったのですが、戦後の何度かの洪水のため土砂に埋まって消滅してしまっています。

位置的には西のカバリシアンから峠道が始まって東のサンタフェに続いています。
そして、その途中にサラクサク第2峠、続いて第1峠があるのです。
この道は1880年代にスペインの宣教師が水牛が通れる道として開拓した道です。

昭和20年2月1日、この場所にやってきたのが米第32師団(通称レッドアロー)です。
画面の中央に赤い記念碑が見えますが、これは米第32師団が昭和20年5月に建てた記念碑です。
”レッドアロー”つまり”赤い矢”の形のモニュメント。
本当はこの台座は3段重ねなのですが、土砂に1メートル以上も埋まってしまっています。

米第32師団はこの道をサンタフェに向かって進撃しました。
つまり、ルソン島を西から東へ横断する形です。
5号線を北上する日本軍のルートを遮断するためでしょう。

その入口に立ちはだかっていたのが祖父の部隊。配属部隊を含めても、わずか600名の兵力です。

鈴木支隊の兵力

捜索第10連隊(徒歩3個小隊・機関銃1個小隊)221名
歩兵第63連隊第6中隊(足立隊)
歩兵第39連隊第4中隊(山口隊)
野砲兵第10連隊第1中隊第2小隊(湯浅隊・野砲2門)63名
独立速射砲1個小隊(対戦車砲2門)
工兵第10連隊の1個小隊

1万名以上の米軍と600名ではねぇ〜勝ち目はないわなぁ〜
それでも祖父たちは敵砲兵陣地に斬り込みをかけたりと善戦したようです。
しかし、2月15日には第一線陣地が陥落。中隊長の殆どが死傷してしまいました。
2月23日にはついに陣地は米軍に占領されてしまい、カバリシアンから第2峠までの約9キロの距離を防御陣地を作りながら後退しました。
米軍はこのわずか9キロを進むのに1週間以上もかかったのですから、祖父たちの戦いぶりの凄さには敬服します。
そして約80名まで兵力は減少、サラクサク第2峠の”天王山”の乾大隊のところへたどり着いたのです。

   

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