万城目 正 まんじょうめ・ただし

明治38年(1905年)1月31日~昭和43年(1968年)4月25日






作曲家 万城目 正の墓
(宮城県仙台市・龍雲院)




(平成24年6月3日)

やすらかに万城目先生
万城目家ご先祖の菩提所こゝ龍雲院に眠る

昭和の歌謡史は古賀政男で花ひらき、古関祐而から服部良一そして万城目正に受け継がれた。
映画(愛染かつら)の主題歌「旅の夜風」と戦争末期に企画された、映画(そよ風)の主題歌「りんごの歌」この作品で作曲家の地位を確立日本歌謡史にしっかりと刻まれた。
万城目正(本名侃)明治38年北海道幕別町で生まれた。
武蔵野音楽学校でバイオリンを専攻され、昭和11年頃から松竹キネマの音楽部を担当「純情二重奏」など映画主題歌を作曲、昭和13年日本コロムビアの専属となる。
彼の作品に一貫して流れる旋律は、叙情的なムードと、しっとりとしたロマンの曲が多い。
外国のリズムを歌謡曲に用いて、「懐かしのブルース・別れのタンゴ・情熱のルムバ」など、高峰三枝子が歌った一連の名曲を世に贈り、「越後獅子の歌・悲しき口笛・東京キッド」は美空ひばりをスタートさせ、「この世の花」は島倉千代子のデビューに貢献し、一世を風靡した「旅の夜風」は当時乙女の紅涙をしぼり、取り分け、「りんごの歌」は敗戦のショックで虚脱状態にあった多くの人々に、大きな夢と、あしたに希望を与え、こんにち繁栄の礎となった。

(説明板より)

りんごの唄の発祥の地

リンゴの唄の作曲者は、万城目 正 先生です。
先生のご先祖は1592年(文禄2年)伊達政宗公の家臣となった。
万城目荘兵衛盛馬から代々政宗公に仕え、1868年(明治元年)大政奉還、王政復古により、一時北海道の幕別に移り住むも、万城目家は、1667年(寛文7年)から、龍雲院を菩提所としている。
その子孫である万城目 正 先生もやすらかに眠っている。
「りんごの唄は龍雲院が発祥の地」は言い過ぎだろうか?

(説明板より)




龍雲院
(宮城県仙台市青葉区子平町19-5)



(平成24年6月3日)

本寺院の開山と著名人のご紹介    住職 坂下松雲

当金臺山龍雲院は、慶長2年(1597)に政宗公によって開山された。
天正19年(1591)豊臣秀吉が、正宗の領地を替え城も米沢から岩出山に移転させた。
政宗はこれを機に仙臺進出を心に秘め、その先遣として造営されたと云われている。

本寺院を菩提所としている著名人
林 子平 (国指定史跡)
寛政の三奇人とも謂れ、徳川三百年の鎖国政策の夢醒ますべく、日本の進むべき道を説き、晩年有名な六無斎の歌を残し1793年56才で歿す。
細谷十太夫 (伊達藩の隠密鴉組の大将)
実に30余戦の戦いに連戦連勝の記録を保持し続けた。
“負け知らず”に肖り縁起を担ぎ、立候補の諸先生、請負業者、商人、入試の学生さんなど、多くの方がお参りに見えているようです。
1907年68才で歿す。
③万城目 正 (作曲家)
昭和の歌謡史に偉大な業績を残す。
先祖は、稗貫と称し、源頼朝に仕え功を挙げ、奥州稗貫郡鳥谷崎とやざき城を賜る。
以後姓を萬丁目と改め、天正18年(1590)城陥され、文禄2年正月(1593)貞山公が宮城野で猟の折り、山岡志摩と、屋代勘解由の計らいでお目通りを許され、公は委曲を問われ禄を賜り、家臣となる。
この時姓を萬城目とした。
寛永2年(1705)公から家紋「九重水玉」を賜る。
当寺院には、寛文7年(1667)に菩提所とした記録がある。
昭和43年(1968)63才で歿す。

(説明板より)




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