満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所

茨城県東茨城郡内原町


説明板より

義勇軍は重要国策の一つとして昭和12年11月30日の閣議決定に基づき、昭和13年1月設立され、昭和20年の終戦まで存続した。

設立の狙いは、当時、、建国日浅い満州ー現在の中国東北部一帯に拡がる未墾の沃野に青少年を送出し、将来大規模経営の農業者を育成し豊かな農村を築きあげ、日満一体、民族協和の実をあげることにあった。

義勇軍の訓練期間は3ヵ年、そのほとんどは現地訓練であったが、このうち2〜3ヶ月間基礎的訓練を行うためこの地に全国唯一ヶ所の内原訓練所が開設されたのである。
敷地は40ヘクタール、三百余棟の日輪兵舎が林立し、常時数千人の若人が眉を挙げ胸を張り、とおく大興安嶺の彼方に夢を馳せながら此多に学んだ。
その数8万6530名すべてが15才から19才迄の全国道府県で選抜された人達であった。

訓練の傍ら義勇軍は、当時要請された食糧増産の為に各地の援農や奉仕作業に数多く参加した。
内原町武具池の改修工事もそのひとつで延10万人の隊員の勤労奉仕により成ったものである。
「内原」の地名は、この訓練所によって全国にその名を知られるようになった。

<内原訓練所史跡保存会>


訓練所跡 訓練所跡

県立内原養護学校の脇にあります。
満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所之碑 訓練所の碑
拓魂の碑 「拓魂」の碑

表は訓練所本部の様子が、裏には訓練所の由来が刻まれています。





日輪兵舎





(平成15年3月8日)
日輪兵舎

「拓魂」の碑文

満蒙開拓青少年義勇軍は昭和12年11月3日時の内閣に提出された「満蒙開拓青少年開拓義勇軍編成に関する建白書」が同月30日閣議の決定するところにより創設された
これに先立ち この地内原に満洲移住協会並びに日本国民高等学校協会によって内原訓練所の建設が進められ 同13年1月より義勇軍募集要項による内地訓練が開始されるに至った
国策として発足した満蒙開拓青少年義勇軍は 満洲大陸に理想郷を建設せんとの熱意に燃える青少年たちであった
義勇軍は 訓練所長加藤完治の訓育を受け 三百余棟の簡素な日輪舎に起臥し 心身の鍛練を経て 勇躍満蒙の曠野に赴いたのである
その数8万6530名
内原は 義勇軍の心のふるさとである
綱領は次ぎのとおりであった
1.義勇軍ハ 天祖ノ宏謨ヲ奉ジ 心ヲ一ニシテ追進シ 身ヲ満洲建国ノ聖業ニ捧ゲ 神明ニ誓ッテ天皇陛下の大御心ニ副ヒ奉ランコトヲ期ス
1.我等義勇軍ハ 身ヲ以テ一徳一心 民族協和ノ理想ヲ実践シ 道義世界建設ノ礎石タランコトヲ期ス
義勇軍は大陸の厳しい風雪に耐え ひたすら理想の村づくりに邁進した
しかるに昭和20年8月 祖国の敗戦によりそのすべてが烏有に帰した
以来30年の歳月が流れた
われわれは 志半ばに倒れた同志の遺志を偲び 義勇軍創設の趣旨を録し 永く後世への記念とする
ここに内原会並びに関係各位の協力を得て その鴻志を刻み同志の碑とする

昭和50年5月3日
満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所之碑建立委員会
委員長 那須 ■
全国拓友協議会

※■は判読できなかった文字です。


内原町郷土史義勇軍資料館



近くに「内原町郷土史義勇軍資料館」があります。






(平成15年3月8日)


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