(別称:間坂城・佐竹城・稲木城・天神林城)
常陸太田市天神林町大字間坂字御城2255
平安時代の末期、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫・昌義は久慈郡佐竹郷に永住し、佐竹氏を名乗り、馬坂城を築いた。
馬坂城は、約6032u(1828坪)の敷地に三つの曲輪を設けた平山城で、北を鶴が池、西南を山田川が囲む自然の要害であった。
佐竹氏は三代隆義が太田城(舞鶴城)に移り、その後、馬坂城には四代秀義の子・義清が稲木氏を名乗って居住し、稲木氏滅亡後は十四代義俊の子・義成が天神林氏を名乗り居住したが、慶長7年(1602年)の佐竹氏秋田移封にともない廃城となった。
なおこの城内には、縄文時代前期の頃とみられる間坂貝塚がある。
(常陸太田市)
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馬坂城跡
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石碑と説明板 |
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