松平忠礼 まつだいら・ただなり

嘉永3年6月14日(1850年7月22日)〜明治28年(1895年)3月14日


信濃上田藩第6代藩主・松平忠優の三男。
兄が早世したため世子となる。
安政6年(1859年)に父が急死したため家督を相続し、第7代藩主となる。
しかし、若年相続のため藩内抗争が激化。
慶応4年(1868年)の戊辰の役では、明治政府側に恭順して北越戦争に出兵する。
明治2年(1869年)版籍奉還を経て上田藩知事となる。
しかし、百姓一揆が起こるなど藩内が混乱する。
明治4年(1871年)廃藩置県で藩知事を免職。
明治5年(1872年)から米国へ留学。
明治12年(1879年)に帰国し、翌年から外務省御用掛・外務省取調局に勤務。
明治23年(1890年)の第1次帝国会議で貴族院議員に選出されるが辞退。
明治28年(1895年)死去。
享年46。


最後の殿様
松平忠礼

松平氏

松平氏は、真田氏・仙石氏に次いで、宝永3年(1706)上田城主となった。
松平氏による上田藩領支配は、7代160年余の長きに及び、その領地高は初め5万8千石、のち5万3千石であった。
この松平氏は藤井松平氏と呼ばれ、三河以来の徳川一族庶家、いわゆる十四松平氏の一つで、藩主は譜代の中堅大名として、老中など幕府の要職につく場合が多かった。

(上田城・展示パネル説明文より)

松平忠礼肖像写真



松平忠礼肖像写真
(長野県上田市・上田城)





(平成20年10月29日)
松平忠礼肖像写真



松平忠礼肖像写真
(長野県上田市・上田城)





(平成20年10月29日)

松平忠礼肖像写真

いずれも最後の上田藩主松平忠礼の肖像。
慶応から明治初年にかけて、忠礼20歳前後のものとみられる写真である。
上田藩がここに見られるような洋式兵装を採用したのは、慶応4年(明治元年・1868)のことだった。

(展示パネル説明文より)

肖像写真



中央の椅子に腰掛けている人物が忠礼
(展示パネル説明文より)





(平成20年10月29日)


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