松阪城 まつざかじょう

三重県松阪市殿町


松阪城表門跡 表門跡 平成16年2月7日

県指定史跡
松阪城跡

天正12年(1584)、豊臣秀吉により松ヶ島城に封ぜられた蒲生氏郷が飯高郡矢川庄四五百森よいほのもりの独立丘陵に目をつけ、夜を日に継いで天正16年(1588)に完成させた平山城が現在の松阪城である。

城は東を大手、南を搦手とし、外郭に深田堀及び水堀をめぐらし、本丸、二の丸、三の丸、きたい丸、隠居丸、出丸といった郭より構成され、本丸、二の丸、きたい丸、隠居丸には高い石塁を築き、三の丸は土塁であったという。
天守台は中央よりやや西に寄り、ここに三層の天守閣がそびえ、それをとり巻いてそれぞれの郭に敵見、金の間、月見等の櫓が配されていた。

氏郷は城下町の建設も積極的に進め、城付近の大手町の四つ辻には松ヶ島町の旧家蔵方を移住させ、町の中央に近江日野の商人を、湊町に伊勢大湊の豪商角屋氏を呼び寄せた。
そして、海岸線近くを通っていた參宮街道を城下に引き寄せ、商業の自由を保証し、後の商都松阪の基盤を築いている。

城が完成して間もない天正18年(1590)、氏郷が小田原合戦の功により、42万石の太守として会津に移封されたため、翌年、服部采女正一忠が3万5千石を領して松阪城主となっている。
後、一忠は秀次事件に連坐してその罪を秀吉に問われ、文禄4年(1595)切腹自害して果てた。
同年、古田兵部少輔重勝が次いで城主となり、3万4千石を給せられ、関ヶ原役の後、2万石を加増されている。
重勝は慶長11年(1606)江戸で亡くなり、その子重恒が襲封したが幼少のため弟重治が代行した。
元和5年(1619)紀州徳川家の祖、徳川頼宣の領地となったため、石州浜田に移っている。
以後、松阪には勢州18万石を統轄する紀州藩松阪城代が置かれた。

紀州藩領下の松阪城に関して、江戸時代前期の史料には正保元年(1644)に天守閣が風のため倒壊して土台だけになったと記されている。
その後、寛政6年(1794)には二の丸に徳川陣屋が建てられているが、これは明治10年、失火により惜しくも焼失した。
残っていた他の表門、裏門、中門、土蔵等も明治14年頃までには取り壊された。
当時の城中の建物としてはもと隠居丸にあった米蔵のみが、現在、殿町御城番に残っている。

(歴史民族資料館でもらった『史跡松阪の城跡めぐり』のチラシより)


表門の古写真 表門跡の古写真(歴史民俗資料館の展示パネルより)

三の丸大手筋から表門を撮影したものである。
表門は瓦葺二階建の櫓門型式の城門であったことがわかる。
また表二之門(通称助左衛門御門)の茅葺の切妻屋根の一部も確認出来る。
表二之門は年々二階部分が腐り落ちたために茅葺になったという。

(パネル写真説明より)


案内図 (案内板より)

松阪城跡碑



松阪城跡碑

(表門跡)




(平成16年2月7日)

本丸跡 本丸跡
天守閣跡 天守閣跡

 天守跡古写真(歴史民俗資料館の展示パネルより)

本丸の天守閣跡を南東側から撮影したものである。
三層の天守閣は正保元年(1644)7月29日の「大風」のために倒壊したという。
その後、再建されることもなく、天守閣跡を中心とする本丸一帯は、荒廃していたことがわかる。

(パネル写真説明より)


松阪開府之碑 松阪開府之碑
(金の間櫓跡)

碑文

松阪開府の祖は蒲生飛騨守氏郷であり天正16年西暦1588年8月築城と共に城下街の創設を了へ同18年8月17日氏郷が奥州の会津に移った
その後服部采女正一忠を経て古田兵部少輔重勝同大膳太夫重治の二代25年間の在府に城の修補と商工業都市の整備とを遂げ次で元和5年5月徳川大納言頼宣これを領して明治維新に及ぶ
開府以来360餘年今茲に郷土先人の事蹟を回想してその徳澤を追慕し録してこれを後人に傳える

昭和25年6月
松阪市長 庄司桂一撰文


裏門跡 裏門跡

裏門の古写真 裏門の古写真(歴史民俗資料館の展示パネルより)

これまで、松阪城唯一の古写真として紹介されてきた裏門の写真であるが、撮影年次が明治5年であることが判明した。
裏門も表門等と同様、もともとは瓦葺二階建の城門であったが、正保3年(1646)8月7日の「大風」で二階部分が破損したために茅葺平屋建になったという。

(パネル写真説明より)


二の丸の古写真 二の丸の古写真(歴史民俗資料館の展示パネルより)

大手門辺りから二の丸の方向を撮影したものである。
三の丸大手筋にあった馬屋、二の丸にあった二の丸御殿、二の丸外周石垣上の土塀等が確認できる。
土塀には狭間がなく、かなり荒廃しているようである。

(パネル写真説明より)


松阪城跡には、以下のような施設がありました。

本居宣長記念館 本居宣長記念館

松阪が生んだ偉大な国学者・本居宣長の記念館です。
本居宣長旧居 本居宣長旧居

この家は本居宣長が12歳から亡くなるまで住んでいた家です。
もとは魚町にありましたが、現在地に移築・公開しています。
松阪市立歴史資料館 松阪市立歴史民俗資料館

もともとは、明治45年(1912)に飯南郡図書館として建てられた建物です。
昭和53年(1978)11月、市制施行45周年記念事業の一つとして資料館に衣替えしました。

松阪牛のステーキ 松阪といえば松阪牛

お昼に松阪牛のステーキを食べました。
1万円なり。
こんな高価なお昼は初めてですが・・・
しかし、お肉が口の中でとろけたのには驚きました。
美味しかったです。
かめや

「かめや」

(松阪駅前)

ここでステーキをいただきました。
お肉屋さんが経営しているステーキのお店です。



(平成16年2月7日)

松阪牛の定義
「血統正しい但馬地方の仔牛を、雲出川と宮川の間の地域で育て上げた処女牛」というのが定義だそうです。
ビールを飲ませるなど、独特の飼育法で一頭一頭丹精込めて育て上げられ、見事にサシ(脂肪)の散った霜ふり肉が生み出されるのだそうです。



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