海軍航空隊 明治基地

愛知県安城市東端町


明治航空基地の碑



明治航空基地之碑
(愛知県安城市東端町・東端公園)

平成8年3月 東端町内会



(平成20年4月4日)

碑文

太平洋戦争たけなわの1943年4月、横須賀海軍施設部の監理の下、当時の愛知県碧海郡明治村大字東端、根崎、和泉の三集落に挟まれた約2百ヘクタールの農地に、海軍の軍用飛行場の建設が始められた。
そして、翌年5月下旬から終戦(1945年8月15日)に至るまで、建設工事と並行して海軍航空隊が航空基地として使用した。
その間、配備航空隊は、訓練部隊として、練習航空隊の教育を終えた搭乗員に対し、当時の各種新鋭機(「零戦」「紫電」「月光」「彗星」「天山」「彩雲」等)の使用に慣熟させる為の錬成訓練を行うと共に、1944年12月から翌年4月にかけては、作戦部隊として、主に名古屋地区に来襲した米陸軍長距離戦略爆撃機B−29の迎撃や、米軍沖縄攻略部隊の撃滅作戦(沖縄特攻作戦)に参加した。
また、1945年1月13日早朝、この地を襲った三河地震(東端の被害、住宅全壊77、同半壊121、死者24、重傷5、軽傷36、等)の際は、近隣町村被災者の救出・救援並びに災害の復旧に当たった。
太平洋戦争終結50周年を記念し、改めて世界恒久の平和を祈念するとともに、その歴史的事実を後世に伝えるため、この碑を建てる。

1996年3月
東端町内会

明治航空基地配備航空隊名
1944年5月〜7月 第345海軍航空隊明治派遣隊
 同年 7月〜9月 第341海軍航空隊明治派遣隊
 同年 9月〜終戦 第210海軍航空隊
1945年6月〜終戦 東海海軍航空隊

(碑文より)

明治基地跡

操縦飛練卒業者の実用機錬成教育と、紫電など新鋭機への慣熟飛行の基地。
沖縄戦では艦船攻撃や特攻隊の直掩と、来襲敵機の迎撃に活躍。
V字型滑走路3本を交差させ、如何なる風向きにも離着陸を可能にした飛行場だった。

(参考:『月刊豫科練 平成17年5月号』)


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