2.置き去りにされた!

(ミッドウェイ島)


平成22年(2010年)6月2日

今日はミッドウェーに行く日。
迎えのバスに乗り、空港へ向かうが・・・・
バスの中に、見知らぬ日本人が何人も乗っている・・・・
どうやら、このツアーに途中から合流した人らしい。
が・・・紹介も何もないから、誰なのか知らない。(笑)

空港に着いたら・・・早々と事件発生!(笑)
我々に現地で合流した日本人が一人、パスポートをホテルに置いてきてしまったという。
ミッドウェーに行くには、一応、パスポートが必要なのである。
「だって・・・朝の打ち合わせの時に、パスポートの確認はなかったんですか?」と我がツアーの人に尋ねたら、「そんなものなかったよ」と言う。
「そんなバカな・・・」
「そうだろ?俺もそう思っていたんだけどさぁ〜」
ホテルのロビーに集合した時にミーティングがあったが、私は参加していなかったので内容は知らない。
なぜかというと・・・
ハワイはどこもかしこも禁煙。
ホテルの中は勿論、ホテルの外でも建物の目の前は駄目。
で・・・ベルボーイに尋ねたら、ホテルの前の道路の向こうにある小さな公園でならタバコを吸っていい・・・と言われたので、そこでタバコを吸っていたのである。(笑)
どうせ、参加人数の確認すらしないツアーだから、私がいようといまいと騒ぎになるまいと思いタバコを吸いに出掛けていたのである。(大笑)
まさか、ミーティングではパスポート持参の確認ぐらいはするんだろうと思っていたのだが・・・
引率責任者のS氏は何を考えているのやら・・・

「とにかく、タクシーですぐにホテルに戻ってパスポートを持ってきた方がいいですよ。すぐに戻って!」と指示をしたのは私である。
この日本人は海原会役員のY氏の知人らしいのだが、そのY氏は知らぬ顔。
なんと薄情な・・・(唖然)

更に問題は続く。
ミッドウェーへはコンチネンタル航空のチャーター便で米国側の参加者と一緒に行くのだが、我々日本人の座席が確保されていないという。
そんな馬鹿な・・・
このツアーの企画はミリタリー・ヒストリカル・ツアー社で、日本側の窓口はY氏である。
この人は高齢なのだが、英語がペラペラで、しかも米国側との人脈も豊富ということで窓口となり、今回我々が参加したツアーも企画されたようである。
ということは・・・う〜ん・・・誰の責任なの?これ・・・

コンチネンタル航空のカウンターの前でゴタゴタ揉めている最中

さんざん揉めた挙句・・・なんとか話がついたようである。
ようやくチェックインの手続きが開始された。
ところが、我が日本人は・・・ドドッとカウンターに集まってしまうのである。(笑)
空港職員が日本語で「線の後ろに下がって下さい!」といくら言ってもゾロゾロとカウンターに行ってしまうのである。
あ・の・ね・・・・
日本の恥だろ・・・それ・・・
少しでもカウンターに近づけば飛行機に乗れると思っているのだろうか?(笑)

短気な私はついにキレてしまった!(苦笑)
「いい加減、指示に従いなさい!その線の後ろまで下がって!下がって!」と怒鳴ってしまった。(笑)

ところで・・・引率責任者のS氏は・・・
自分だけ真っ先にチェックインして「じゃぁ、先に行ってるから〜!」と搭乗口へ向かってしまった!
うそぉ〜(大汗)
この面倒見の悪さは昨年のグアムの時と同じである。
座席の関係で飛行機に乗れるかどうかもわからない我がメンバーがいるにもかかわらず・・・である。
呆れてものが言えぬ。
仕方がないので、私は自分のチェックイン後も他の人の手続きが終わるまで待ってあげることにした。
途中で参加して来た日本人たちは仲間なのかどうか知らないが、少なくとも成田空港から一緒に来た人たちだけでも面倒を見てやらねばなるまい?
「とにかく僕はここで待っててあげますから、焦らなくていいですよ。手続きが終わったらここに集まって下さい!」と取り仕切る。
「いやぁ〜申し訳ないねぇ〜助かるよ〜」との声をいただいたが・・・
本来は私のやる仕事じゃないんだけどなぁ。(笑)

取りあえず成田から来た我が仲間と、パスポートを取りにホテルに戻った人は無事にチェックイン出来た。
これで全員かどうかは知らない・・・(笑)
なにせ、総員何名のツアーなのか知らないんだから仕方がない・・・

皆さんを引率して搭乗口に向かう。
搭乗口前で今回のツアーの全体説明があった。
ミッドウェーでの注意事項やら、退役軍人のお偉いさんの紹介やら・・・・
しかし英語だから・・・よくわからない。(大笑)
日本語の通訳はないから、多分、日本人はY氏を除いて誰もわからなかったのではなかろうか?(笑)

日米合同・全体説明会

無事にハワイを離陸する。
ホノルルからミッドウェー島までは、3時間半ほどである。

チャーター便だが、ちゃんとした機内食が出た。(喜)
途中で見かけた景色・・・

サンゴ礁かな?

どこかの環礁・・・である。

 (ミッドウェイ島)

ミッドウェーが見えた時・・・
反対側の通路側に座っていたアメリカ人の“ダンさん”から写真を撮ってくれとカメラを渡されたので、一生懸命写真を撮った。
で・・・気がついた!
自分のカメラでは撮っていない!!!
大失敗である!
お人好しもここまでくると・・・・アホである。
二度と来ることはないだろうミッドウェー島の写真は1枚しか撮れなかった。(大涙)

無事にミッドウェイ島に着陸!
このミッドウェイ島はイースタン島とサンド島という2つの大きな島といくつかの小島からなっている環礁である。
正しくは「ミッドウェイ諸島」と呼ぶべきかもしれない。
この滑走路があるのが、サンド島と名付けられている平坦な島である。

 (アホウドリの雛たち)

アホウドリ(阿呆鳥)が滑走路の周辺にいるのが見える。
その数や・・・すごい!
が・・・間違っても滑走路の上にはいない・・・・
滑走路は「危ない」と知っているのか?(笑)
いずれにせよ、阿呆鳥という名のわりには・・・・アホ(阿呆)ではないようだ。(笑)

現在は使われていないらしい・・・米海軍航空隊(?)のハンガー

ミッドウェイ島の位置関係を示す看板があった。
主要都市(基地?)からの航空路と距離の表示・・・
ちなみに、「ATSUGI(厚木)」からミッドウェイ島までは2235マイル・・・・
このマイル表示は一般的な「国際マイル」ではなく、艦船・航空機用の「NAUTICAL MILES」(ノーティカルマイル・1海里)なので・・・
メートルに直すと・・・・413万9220メートル・・・・(大笑)
ということは・・・約4千140km・・・ということか?
なんとも、ピンとこないが・・・日本からは、かなり遠いということね?
ちなみに、ハワイのホノルルからは1134マイルである。

『ようこそ海軍航空基地へ』・・・の看板・・・・
1969年に製作されたものらしい・・・(汗)
私が9歳の時?(笑)

こちらがアホウドリの親・・・井戸端会議中・・・(笑)
こちらがアホウドリの雛・・・物思い中?(笑)
 どこもかしこもアホウドリの雛だらけ・・・(唖然)

 何万羽どころじゃなく、何十万羽じゃなかろうか?
アメリカ側が建立した「ミッドウェイ海戦記念碑」

中央の碑がメインの記念碑のようである。
両脇の灰色の碑は、米軍の関係部隊が刻まれている碑である。
主碑の碑文(表)
DEDICATED TO THE PRESERVATION OF
THE MEMORY OF MIDWAY
WHERE THE MOST DECISIVE NAVAL BATTLE
IN MILITARY HISTORY WAS FOUGHT

JUNE 4, 1942
THE DAY WHEN THE AMERICAN SPIRIT
REACHED UNPARALLELED HEIGHTS AND,
IN SO DOING, SAVED DEMOCRACY FOR THE
WESTERN WORLD
主碑の碑文(裏)
“THEY HAD NO RIGHT TO WIN.YET THEY DID,
AND IN DOING SO THEY CHANGED THE COURSE
OF A WAR.MORE THAN THAT,THEY ADDED A
NEW NAME-MIDWAY-TO RHAT SMALL LIST
THAT INSPIRES MEN BY EXSAMPLE・・・ LIKE
MARATHON ,THE ARMADA THE MARNE.EVEN
AGAINST THE GREATEST OF ODDS,THERE IS
SOMETHING IN THE HUMAN SPIRIT-A MAGIC
BLEND OF SKILL,FAITH AND VALOR-THAT
CAN LIFT MEN FROM CERTAIN DEFEAT TO
INCREDIBLE VICTORY.”

                   ・・・WALTER LOAD
テレビ局の取材クルー

この式典には、日本のTBSテレビの取材クルーも参加して取材をしていた。
日本のテレビ局も同行するなんて、そんな話、全然聞いてないんですけど・・・(笑)
このくそ暑い中、アナウンサーはネクタイをしなくちゃならないから大変である。
取材クルーと、「暑い中、御苦労さんですねぇ〜」などと、ちょっとおしゃべりをする。
彼等は日本からではなく、米国本土の支局から派遣されたのだという。
本当にご苦労様です。

雛に餌を与える親鳥・・・・
それにしても、これだけの雛がいるのに、よく自分の子供がわかるものである。(笑)

国旗の入場!

国旗の入場!
軍旗と国旗なのかもしれないけど・・・・(笑)
「日米合同慰霊祭」と聞いていたんだけど・・・日本の国旗は・・・・ない!
米国の国旗のみ・・・何で?
「日米合同」って、言葉のあやで、本当は、米軍の慰霊祭に日本人が混ざっているだけということか?
私としては、ちょっと納得がいかない。
私だったら、日章旗(日の丸)と旭日旗(海軍旗)を米軍の後から続けて入場させるというイベントを企画しちゃうけどなぁ〜(笑)
日米合同慰霊祭ということなら戦勝国も敗戦国も関係あるまい?(笑)

“お偉いさん”が何人も挨拶に立つ。
が・・・当然、英語で話しているから何を話しているのかはわからない。(笑)
日本側からはY氏が英語でスピーチ・・・・
結局、通訳がいないので、日本人参加者には話の内容は全くわからない。(大笑)

記念碑への献花式

式典が終わり・・・休憩?(笑)
会場のすぐ脇で、サンドイッチと飲み物のサービス。
ボランティアの人たちであろうか・・・「どうぞ食べて下さい」と声をかけられた。
「このサンドイッチは、ハムとチーズで・・・こっちのが・・・・」と、サンドイッチの中身まで丁寧に教えてくれる。
「食べていいの?」
「どうぞ、どうぞ!」
しかし、英語でのやり取りなので、他の参加者にはわからない。
「みなさん!食事のサービスがあるので、自由にもらって下さい」と皆さんにお伝えする。
(私の仕事じゃないんだけど・・・これ)
引率責任者のS氏からは「ここで1時間ほど休憩するから」と指示が出る。
ところが、まもなく“ダンさん”が来て、「何してるんですか?今からすぐに港に向かいますよ!早く行きましょう!」と急きたてられた。
あれ?話が違うぞ・・・

これから、「洋上慰霊祭」を行なうので、日本人グループは、港に移動して、ボートに乗るという。
しかし、ボートに乗れるのは16名だけだとか・・
昨日、漏れ聞いたところによると、日本人でボートに乗せてもらえるのは3名だけだとか・・・(大汗)
しかし、我が日本人グループは20名以上いるのである。
人選は、引率責任者のS氏、役員のY氏に一任とのことで、今日、その人選を発表してくれるはずなのだが、とうとう発表なしのまま・・・

島内の移動にはゴルフ場の電動カートが流用されている。
しかし、台数が参加人数以下しかないため、全員は乗り切れない。
と・・・S氏から恐るべき指示が!(汗)
「港に行くのは、従軍経験者だけ!他の人は降りて!」
指示に従ってカートを降りた人の空いた席にH氏が乗り込んだところ・・・
「おい!あんた、従軍経験者か?従軍経験者じゃないだろ!降りて!降りて!」と怒鳴られ、無理やり降ろされる。
おい、おい、・・・そういう言い方はないだろう・・・
で・・・「あとの人は適当になんとかして!・・・それじゃ行ってくるから!」
はぁ?・・・・である。

港へ出発するカート

残された方々は憤懣やるかたない!
そりゃそうだろう。
参加者全員がボートに乗れないのはわかっていたが、まさか港までは一緒に行くものだと思っていたのだから・・・
まさか、ここで置き去りにされるとは思ってもみないこと。
しかも、人選は任せてくれと言っていたのに、その人選もせず、出発する時になっていきなり「従軍経験者のみ」では納得がいくまい。
だいたい、従軍経験者ではない戦後生まれの若い人間が数名チャッカリとカートに乗って降りようともしていないのである。
彼等はY氏の知人ということで参加した人達のようである。
この差別は何????
海原会のツアーの参加者(会員)が置き去りにされて、便乗して参加した“部外者”(非会員?)が優遇されるとはどういうことよ?

私は戦後生まれだし、参加者の中では“若手”なので、当然、ボートに乗ることは出来ないし、乗ってはいけないと思っていた。
乗船人数が制限されているならば、ここは“年功序列”が妥当な人選だろうが、ドサクサまぎれに指示を出されたのでは、不愉快に思う人が出るのは当たり前である。
「従軍経験者」と聞いて「実戦経験者」と勘違いして、カートに乗らなかった「従軍経験者」もいたようである。
にもかかわらず・・・ちゃっかりと若い人間が、そ知らぬ顔をしてカートに乗って降りようとしないんだから呆れたものである。
「同じ金額の旅費を払って来ているのに、この扱いはひどいだろう」との声も上がった。
ごもっともである・・・

この一方的なドサクサまぎれの指示に対して・・・
「あのやろう!ぶんなぐってやろうか!」という過激な発言も飛び出す始末。
「予科練なんてこんなものか!」
「だいたい最後の方(大戦末期)では何万人もいたんだから、その中には“クズ野郎”だっているよ!」
置き去りにされた、参加者は怒り心頭で文句続出である。(大汗)

S氏は引率責任者として絶対やってはいけないことをしてしまったのである。
仲間を置き去りにするとは言語道断!
人選は任せてくれと言った以上は、公表して、参加者の同意を取るべきである。
グループを分けるなら、もうひとつのグループにはきちんとリーダーを選出しておかねばなるまい?
「あとは適当に自分たちでなんとかしろ」では、引率者としては失格である。
間違っても戦友会役員のすることではない!(怒)
私は陸軍の戦友会の事務局長をしているが、間違っても、こういうことはやらないけど・・・(大汗)
予科練の名前に泥を塗る行為ではなかろうか?
私の親父は予科練出身だが(だから私がこの戦友会に入会している)、親父がこの戦友会に入会しない理由が分かったような気がした・・・(汗)
私もかなり頭にきたが・・・それ以上に普段大人しいみなさんから過激な発言が出たのには驚いた。
しかし、怒るのは当たり前であろう・・・・


   


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