三岸好太郎 みぎし・こうたろう

明治36年(1903年)4月18日〜昭和9年(1934年)7月1日


洋画家。
北海道出身。
作家・子母沢寛しもざわかんは異父兄。
夫人は画家・三岸節子。
独学で絵を学び、大正13年(1924年)、春陽会賞を受賞。
昭和5年(1930年)、独立美術協会の創立に参加する。
以後、同展に出品。
作品『海と射光』


三岸好太郎生誕地




三岸好太郎生誕地
(北海道札幌市中央区南7条西4丁目1−1・豊川稲荷札幌別院)





(平成22年5月29日)

洋画家・三岸好太郎生誕地

明治36(1903)年4月18日にここ南7条西4丁目の一角で生まれた。
札幌一中(現南高)卒業後上京して第一回春陽会展に入選し、のち独立美術協会の創立に参加する。
天才的な感覚で次々と作風を変え、とくに死の直前の蝶と貝による幻想的な光景など、日本前衛絵画の先駆者として果たした役割は大きい。
昭和9(1934)年7月1日旅先の名古屋で急死した。
31歳だった。
女流画家三岸節子は夫人。
道立三岸好太郎美術館(北2西15)がある。
厚田村で生まれた時代小説家の子母沢寛(明25〜昭43)は異父兄にあたり、市立北海中学に学ぶなど札幌とも縁が深い。

(説明板より)

『豊川稲荷』札幌別院 略縁起

愛知県豊川市曹洞宗妙厳寺は、御本尊に、寒厳義尹禅師伝来の千手観音を安置し、鎮守として禅師御感見の善神「豊川■枳尼真天トヨカワダキニシンテン」を祀る。
この善神は通称『豊川稲荷』と呼ばれ、その起りは、七百数十年の昔、文永元年、寒厳禅師入宋求法をおえ、帰国の為御乗船の際、海上にて忽ち霊神現じ、妙相端麗にして稲穂を荷い、手に宝珠を捧げ、白狐に跨がるお姿を御神示あり、禅師は深く感動せられ、帰国後示現のお姿を自ら刻み、守護神として祀られる。
これより代々相伝せられ、東海義易禅師により豊川の地に、円福山妙厳寺を開創と共に鎮座し、東海地方の名刹となる。
因に『豊川■枳尼真天』現じ給える時の御神示の中に真言あり「?尸羅婆陀尼黎吽娑婆詞オンシラバッタニリウンソワカ」と申す。
之を要約すれば“正しい戒力により、悪事災難を除き、福徳智慧を得て苦を抜いて楽となし、悲しみ転じて喜びとなす事が必ず成就する”という意味である。
その分霊は、全国至る所に祀られており、当院は明治31年に別院として開創され、以来幾多の霊験を現じ今日に至る。
(稲荷縁日毎月22日)
尚、一階には、清田区北野にある「曹洞宗 玉宝禅寺」の祖院として、仏事全般を司っている。

平成8年秋 大祭記念 院代 修導 記

(説明板より)




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