平成19年4月13日
慶応3年4月15日(1867年5月18日)〜昭和16年(1941年)12月29日
和歌山県和歌山市橋丁でお会いしました。
生物学を研究しながら中南米各地を放浪。
明治25年(1892年)に天文学論文が認められて、大英博物館東洋調査部に勤務。
十数ヶ国語に通じ、イギリスの専門雑誌に多数の論文を寄稿。
明治33年(1900年)に帰国、和歌山県田辺町に定住し、菌類や民俗学の研究を続け、粘菌の研究は世界的に評価された。
明治39年(1906年)の神社合祀令に反発して反対運動を続けた。
南方熊楠生誕地 (和歌山市橋丁) 平成6年2月建立 和歌山市 (平成19年4月13日) |
南方熊楠生誕地碑文
紀州和歌山が生んだ巨人・南方熊楠は慶応3年(1867)4月15日、ここ橋丁で誕生した。
5年後南隣りの寄合町に移転、この周辺で少年時代を過ごす。
青年時代にアメリカ、イギリスで独学し、帰国後は田辺に居住、在野で学問一筋の生涯を送り、昭和16年(1941)に死去した。
彼の研究は博物学、宗教学、風俗学など多くの領域にわたるが、生物学、特にキノコや粘菌など隠花植物の世界的な学者であり、また日本の民俗学創設において重要な役割を果した。
他方、環境保護に先駆的に取り組み、近代日本の独創的な思想家として高い評価を受けている。
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