源実朝 みなもとのさねとも

建久3年8月9日(1192年9月17日)〜建保7年1月27日(1219年2月13日)


父親は鎌倉幕府初代将軍源頼朝
母は北条政子
建仁3年(1203年)兄で二代将軍の頼家が幽閉されたあとを受け、三代将軍となる。
政治の実権は北条氏に握られたとされているが、政所まんどころを中心として将軍権力の拡大に努めた。
京都の文化に強い関心を持ち、和歌や蹴鞠に親しむ。
和歌を通じて藤原定家とも親交をもつ。
建保2年(1214年)臨済宗の開祖・明庵栄西から茶と『喫茶養生記』を贈られる。
建保4年(1216年)急速な官位昇進を大江広元に諌められる。
同年、宋へ渡ることを思い立ち大船の建造を命じるが、翌年、建造された大船は由比ヶ浜で沈没し渡宋を断念。
建保5年(1217年)兄の源頼家の遺児である公暁くぎょうを鶴岡八幡宮別当にする。
建保6年(1218年)右大臣となる。
建保7年(1219年)鶴岡八幡宮で右大臣拝賀の儀式の時に、甥の公暁に暗殺される。
28歳で没する。
このため源氏の正統が断絶する。


源実朝の墓



源実朝の墓
(神奈川県鎌倉市・寿福寺)





(平成18年9月24日)
やぐら



源実朝と北条政子の”やぐら”

”やぐら”とは山や丘の岩肌に掘られた横穴式の墳墓のことです。




(平成18年9月24日)
寿福寺



寿福寺

(神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1−17−1)





(平成18年9月24日)

国指定史跡
寿福寺境内じゅふくじけいだい

昭和41年3月22日 指定

亀谷山きこくさん寿福金剛禅寺こんごうぜんじ(臨済宗建長寺派)は、正治2年(1200年)頼朝夫人政子が、明庵栄西みょうあんえいさい禅師を開山として建てたもので、鎌倉五山の第3位の寺であります。
この地は、もと源頼朝の父義朝の館があったといわれ、鎌倉入りした源頼朝はここに館を造ろうとしましたが、岡崎義実が義朝の菩提を弔うお堂を建てていたのでやめたといわれています。
墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が2基あります。
現在伽藍は外門、山門、仏殿、鐘楼、庫裡などですが、外門から山門に至る敷石道は静寂感が漂い、また仏殿前に4株の柏槇があり、往時のおもかげを残しています。

平成8年3月30日
神奈川県教育委員会


鎌倉幕府



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