三沢初子像 平成19年1月12日

三沢初子 みさわ・はつこ

寛永17年(1640年)〜貞享3年2月4日(1686年2月26日)

東京都目黒区・正覚寺でお会いしました。


三沢初子像



三沢初子之像
(東京都目黒区・正覚寺)





(平成19年1月12日)

三澤初子銅像建立の趣旨

芝居で名高い先代萩の政岡は六孫王経基の後裔三澤清長の女初子の事で浅岡の局と稱へ仙臺の御家騒動六十二萬石横領の魔の手が絶えず幼君の身邊を脅かした時不惜身命の信仰と母性愛とを力としてあらゆる迫害を忍び遖れ亀千代君に伊達家第二十代綱村を名乗らせた偉勲は實に忠貞両道を全うした日本女子の亀鑑である
此度初子が永久安息の地とした當山に其の銅像を建立したのは日日に増しゆく道義の頽廃と思想悪化の現状とは正に國本を危うくするものであり之を救ふ途は實物教育に勝るものはないと痛感したからである
此の銅像建立につきては伊達両家を始め藝術界及び一般有志の後援を辱しうし又製作につきては故矢野誠一氏の遺志を継ぎて氏と友情厚かりし北村西望建畠大夢新田藤太郎三氏協力の構想に依り新田氏が主として製作に當られたのである

昭和9年10月19日

(銘板碑文より)


正覚寺



正覚寺
(東京都目黒区中目黒3−1−6)





(平成19年1月12日)

正覚寺しょうがくじ

この寺は、日蓮宗で、元和げんな5年(1619)に、日栄上人によって開かれました。
はじめ碑文谷法華寺末でしたが元禄の頃、不受不施問題の影響を受けて身延山久遠寺末になりました。
仙台の伊達家との関係が深く、4代藩主綱村の生母浄眼院(浅岡局、三沢初子)が本寺住職4世日猷にちゆう、5世日登にっと両上人に深く帰依し木堂や庫裡は自分の邸宅を寄進して建てたものと言われています。
今も伊達家の紋の入った建具などが残っています。
また、綱村は、生母の菩提を弔うため当寺にたいして特別の保護を加えていたといいます。
なお、鬼子母神堂には伝教大師作と伝えられる鬼子母子像、祖師堂には11代将軍家斉が江戸城中で深く帰依していたという日蓮上人木像が安置されています。
墓地には、三沢初子の墓(都文化財、旧跡指定)があり、境内には初子が歌舞伎で有名な「先代萩」の政岡であるということから銅像が建てられています。

平成元年3月
東京都目黒区教育委員会

(説明板より)





三澤氏初子之墓
(宮城県仙台市・政岡墓所)



(平成24年6月2日)

仙台市指定史跡
三沢初子の墓
昭和47年2月1日指定

三沢初子は尼子氏の重臣三沢清長の娘で、後に三代藩主綱宗の側室となり、亀千代(四代綱村)を生む。
貞享3年48才で没す。
  法名 浄眼院殿了岳日嚴大姉
寛文事件(伊達騒動)の時には、12年にわたり幼君亀千代を守って辛労した。
歌舞伎「先代萩」の政岡は、三沢初子をモデルにしたものと言われている。
明治初期までは本殿、唐門、拝殿があったが、伊達家の祭祀が神式に改められて撤去された。

(説明板より抜粋)




政岡墓所
(宮城県仙台市宮城野区榴岡5−4)



(平成24年6月2日)


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