美空ひばりの像  平成15年6月14日

美空ひばり みそら・ひばり

昭和12年(1937年)5月29日〜平成元年(1989年)6月24日

福島県いわき市・塩屋埼灯台の近くでお会いしました。


本名は加藤和枝。
9歳の時に父親が結成した素人楽団で歌い始め、昭和23年(1948年)日劇小劇場出演の際に「美空ひばり」と名乗りました。
翌年「のど自慢狂時代」で映画初出演、松竹映画「悲しき口笛」では初主演。
吹き込んだ曲は1200曲、歌謡界の女王として戦後日本の大衆文化を代表する一人となりました。
死後、国民栄誉賞をうけています。


永遠のひばり像

この像は、昭和の歌姫として日本の音楽史上に残る、多大な足跡を遺された美空ひばりさんが、永遠に太平洋に向かって世界に歌いつづける姿を残したいという思いから、平成14年5月25日に、ひばりさんの偉大なる功績を讃え感謝の念を込め、「みだれ髪」の舞台となった、いわき市・塩屋埼のこのステージ(場所)に、いわき市民の方々と、ひばりファンの皆様のご好意により建立されました。

2002年5月25日建立

(銅像の碑文より)


訪問記

塩野埼灯台の近く、薄磯[うすいそ]海岸沿いの”ひばり街道”脇に銅像が建っていましたが・・・・
台座は立派なんですけど・・・銅像が小さい!
国民栄誉賞を受けた人の銅像とは思えないほど小さかったでした。

(平成15年6月14日訪問)


「ひばり街道」が出来るまで

美空ひばりさんの最後のレコーディング曲「みだれ髪」は、ここ塩野埼の風景が舞台となって生れました。
太平洋を望む灯台のふもとに、「みだれ髪」の歌碑を建立したのが昭和63年。夏に、歌の流れる遺影碑平成2年に建立。以来、毎年多くのファンの方々や観光客が訪れ、ひばりさんの思い出を偲んできました。
「雲雀の苑」から目の前に薄磯海水浴場が拡がる420m区間を「ひばり街道」と称して、この美しい地にひばりさんの功績を讃え、後世に伝えていこうという目的のもと、塩屋埼近辺の魅力を更に高めるため、道路整備を中心とした、自然とふれあい親しむための空間づくりを進めた結果、平成10年に完成を迎えました。

(説明板より)


遺影碑 美空ひばりの遺影碑

遺影碑の1.5メートル前に立つとセンサーが感知し、オートサウンドシステムが作動して「みだれ髪」の歌が流れます。

(説明板より)


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