三吉周亮 みよし・かねすけ

天保12年12月3日(1842年1月14日)~明治36年(1903年)6月1日






見性院殿鐵心智行大居士
(山口県下関市・功山寺)




(平成23年9月14日)

龍馬の夢の支援者
長府藩家老:三吉周亮みよしかねすけ墓所


若年ながら、長府藩の内政・外交・軍事の各方面で活躍した三吉周亮の墓所。
龍馬の夢の賛同者として、龍馬からの信頼も厚かった人物。
第一次長州征討時、萩藩における幕府恭順きょうじゅん派の台頭により、山口から逃れてきた三条実美さんじょうさねとみら五卿を功山寺に奉迎することになったのは、周亮の決断によるものです。
この五卿の功山寺入りが、後の薩長和解への先鞭ともなりました。

(説明板より)





山門

(山口県下関市・功山寺)




(平成23年9月14日)

下関市指定文化財(建造物)
功山寺山門

指定年月日 昭和45年3月4日

この壮大な二重櫓造り功山寺山門は、安永2年(1773)長府藩主 十代 毛利匡芳の命により建立(再建)されたものです。
山門(三門)とは、本堂へ入るのに通らねばならない門、三解脱門さんげだつもん(空くう・無相むそう・無作むさ)にたとえ、その略からといわれています。
禅宗の門にみられる三間三戸さんけんさんこ二重門。
二階楼上に釈迦・十六羅漢を置くのが普通ですが、この櫓の中には市指定文化財(彫刻)の二十八部衆立像が、国宝の仏殿の中から移されて安置されています。
建築様式の特色として、土間に自然石の礎石(礎盤)を並べ、本柱4本と控柱8本で支えられた重厚な門、入母屋造り、本瓦で葺かれた屋根は見事な反りを見せています。
また櫓を支えている太い12本の柱は全て円柱で柱の上部を僅かに円く削り込み、その下部先端は急に細めた、粽ちまき型となっています。
山門の建築資材は、これまでに度々修理が施されていますが、その箇所を除いて、すべて欅けやきの素木を用いて建てられています。
木鼻きばな等の彫刻物、および組物を含め簡素な中にも重厚さを秘めた功山寺の山門は、この時代の禅宗様式を今に伝える貴重な文化財です。

下関市教育委員会

(説明板より)





仏殿
(山口県下関市・功山寺)




(平成23年9月14日)

国宝(建造物)
功山寺仏殿

桁行三間けたゆきさんけん 梁間三間はりまさんけん 一重ひとえもこし入母屋造いりもやづくり 檜皮葺ひわだぶき
指定年月日 昭和28年11月14日

鎌倉時代末期の唐様からよう(禅宗様)建築様式の典型的な建造物です。
床は四半瓦敷しはんかわらしき、礎石と柱の間に木製の礎盤を入れ柱は上下部分が細く粽ちまき型になっています。
見事な曲線美を見せる檜皮葺、入母屋造りの屋根を支えている化粧棰けしょうたるきは天井中央より放射状に配置され、扇棰おうぎたるきとも呼ばれています。
また、二重屋根の内部の組み上がり高さが異なった箇所を補うために海老虹梁えびこうりょう(梁はりと同意)が用いられています。
さらに前面両角には釣鐘つりがね型の特徴をもった花頭窓かとうまどを有するなど、わが国最古の禅寺様式がよく残されており、鎌倉の円覚寺えんかくじ舎利殿しゃりでん同様、寺院建築史上、貴重な建造物です。
この仏殿は、内陣ないじん柱上部に「此堂元應げんおう二年卯月五日柱立」の墨書があることから、西暦1320年に建てられたものとみられています。
功山寺はもと臨済宗・長福寺と呼ばれていましたが、毛利秀元により曹洞宗・笑山寺と改称、さらに慶安3年(1650)秀元の没後、戒名(功山玄誉大居士)をもって功山寺と改称しています。

平成5年7月

山口県教育委員会
下関市教育委員会

(説明板より)





功山寺
(山口県下関市長府川端1-2-3)




(平成23年9月14日)

功山寺(長府川端)

曹洞宗。
嘉暦2年(1327)の創建。
当初は臨済宗で金山長福寺と称し、足利氏、厚東氏、大内氏など武門の尊敬あつく隆盛を誇ったが、弘治3年(1557)大内義長がここに自刃、この戦乱によって一時堂宇の荒廃をみた。
その後、慶長7年(1602)長府藩祖毛利秀元が修営、旧観に復し、曹洞宗に転宗した。
2代藩主光広が、秀元公の霊位をこの寺に安置して以来、長府毛利家の菩提寺となり、秀元の法号、智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改称した。
現在の仏殿は、元応2年(1320)の建立で典型的な鎌倉禅宗様式として国宝に指定、10代藩主匡芳の時、当地工匠の作による山門は市指定文化財となっている。
その他境内には、県文化財の木造地蔵菩薩半跏像をはじめ、大内義長の墓と伝えられる宝篋印塔、五卿西下潜居の間、高杉晋作挙兵の処など数々の史跡や文化遺産が残されており、境内地(付、伝大内義長の墓)も記念物として市文化財に指定されている。

(説明板より)



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