(哈拉沙砂漠・伊金霍洛旗)
平成18年6月19日(第4日目) |
朝から本館に泊まった人達は大騒ぎをしていた。
シャワーを浴びようとしたがお湯が出なかったという。
う~ん、フィリピンで行水をしていた私としては、別段何とも思わないのだが・・・・
水の出が悪いと文句を言う人もいたが・・・
ここは砂漠地帯だからねぇ~
少しでも水が出ればありがたいと思わねば・・・・
いずれにせよ、シャワーを浴びることが出来なくても死にはしないんだから・・・
と思ってしまう自分が怖い。
ちなみに、別館の我が部屋のシャワーはお湯が出た。
今日はメインイベントの散骨式。
バスに揺られて哈拉沙(ハラサ)砂漠へ向かう。
『ハラサ』というのはモンゴル語で「黒い森」という意味だそうだ。
大昔は、この辺りは緑に覆われた森だったのだろう。
この辺りからは”矢じり”なども出土するというのだから、人も住んでいたのだろう。
何が原因で砂漠になったんだろうか?
ハラサ砂漠の植林地 日本のNPO現地事務所の中国人事務所長からここでの植林事業について説明を受ける。 私は中国人は嫌いだが、伯父と一緒に永年活動をしてきた人だからというわけではないが、この人だけは好感が持てた。 この地は伯父が1993年から植林活動を始めたスタート地点。 ここに伯父の骨を撒くのです。 |
散骨式 3年前に伯父が亡くなったとき、遺骨の一部を散骨用に取って置いたそうで、従兄弟たち(伯父の子供達)により砂漠に散骨。 私は立会人。 記録写真を撮らねば・・・ 伯母たち(伯父の姉妹)に報告するためにも記録写真を撮らねば・・・ |
”散骨式”って、どうやるのか誰も知らない。
とにかく自己流でよかろうということになったらしい。
私は甥だが、こういう事には首を突っ込むわけにはいかぬ。
従兄弟たちが決めた通りに従う。
散骨して、般若心経を皆で読んで、お線香を立てて・・・・
日本酒で献杯。
ところで、散骨の許可だが・・・・
日本では煩いのだろうが、こちらのことはわからない。
人民政府の偉い人も立ち会ってるし、地元の人も立ち会っているんだから問題はないのだろう。
これが日本の儀式か・・・と静かに見守っていた。
黄土色の砂漠の上に伯父ちゃんの真っ白い骨が点々と散らばっている。
なんとも寂しい気持ちだ。
私は、散らばった骨の一つ一つに砂をかけて廻った。
涙が出てくる。
風が吹けば自然と砂に埋もれるのだろうが・・・・
どうしても真っ白な骨が眩しくて砂をかけずにはいられなかった。
従兄弟たちに断りもなく勝手なことをしたが・・・・
いずれ、風に吹かれてこの砂漠のあちこちに飛んでしまうのだろう。
「伯父ちゃん、さようなら・・・」
伯父の友人の一人が皆から少し離れた場所に小さな祭壇を作って一人で供養をしていた。
「みんなと一緒にいると、色々なことを思い出して泣いちゃうから・・・」と言う。
その気持ち・・・よくわかります。
紙コップで作った小さな祭壇。
さすがに涙が止まらなくなってしまった。
友人らしい心のこもった供養。
伯父ちゃんは本当に幸せな人です。
でもなぁ~伯父ちゃんは本気で砂漠に骨を撒いてくれって言ったのだろうか・・・などと不謹慎なことを思ってしまった。
恰好つけて言ったはいいが・・・本当にやるとは!・・・・なんて思ってたりして。
「おい!俺を置いて帰っちゃうのか?」って言ってたりして・・・・
散骨した場所から一つ向こうの丘でタイムカプセルの掘り出しを行う。 8年前にこの辺りにタイムカプセルを埋めたという。 それを今回開けてみるというのですが・・・・ どこに埋めたのか目印らしきものはない。 砂漠なんだから・・・・当然だ。 地元の人が、「この辺りだ」と見当をつけて掘り始める。 なぜ、この辺りだとわかるのか? 不思議なのだが・・・自信を持って掘っている。 本当はあっちじゃないか?こっちじゃないか?と騒いでいるのは我が参加者たち。 |
当時、2メートルくらいの深さに埋めたという。 地元の人が一生懸命掘ってくれるが・・・なかなか出てこない。 「本当にここなのか?」との疑問の声も上がる。 |
ところが、驚いたことにドンピシャリとタイムカプセルの真上に到着! 参加者から感嘆の声が上がる。 丁度真上というのには驚いた。 どうしてわかったんだろうか? この正確さは神業だ! 2メートルという深さではなかったが、それでも深い場所にあった。 |
タイムカプセルは”壺” 内部には不思議なことに水が溜まっていた。 中身はビニールでしっかり梱包されていたので大丈夫。 当時の写真や手紙や文集が入っていた。 当時、伯父が書いた文章も入っていて、NPOの事務局次長さんが読み上げてくれた。 これを書いた伯父は、まさか我々が現地に来て発掘して読むなんて夢にも思っていなかっただろう。 複雑な気持ち・・・・ |
今度は、タイムカプセルに我々のメッセージを加えて、もう一度同じ場所に埋める。
さて、これを今度掘り出す時は・・・・・その場に私はいるのだろうか?
それとも伯父と同じようにこの世にはいないのか・・・・
私が自らメッセージを読むことはないだろうということを前提にメッセージを書いて入れる。
誰に対してというわけでもないメッセージ。
親戚の誰かの目に留まってくれたらありがたい・・・・・
メインイベントを終えて、昼食。
何かの作業者の宿舎になっているところで食事をとる。
料理の中にウサギの肉が出たらしいのだが・・・
ある参加者が「これはウサギの肉のようですね」と言ったところ、別の参加者が「これはウサギのわけがない」と言い始め、仕舞いには険悪な雰囲気さえ漂い始めてしまった。
ウサギだろうが、何だろうが、美味しければ私は何でも良いのだが・・・
食後に、私が恐れていたことが遂に訪れてしまった!
それは・・・・トイレ!
外出先では絶対トイレには行きたくなかったのだが、さすがに我慢できなくなってしまったのである。
”小”のほうなら何の問題もないのだが、”大”のほうだから最悪だ。
田舎のトイレ事情は想像を絶する恐ろしさなのです。
店の人にトイレの場所を尋ねても言葉が通じない。
ヤバイ・・・・危ない・・・・漏れそうだ。
何人もの店員に声を掛けて、やっと屋外にあることを知る。
建物の裏に豚小屋があり、その隣にレンガで囲った”トイレ”があった。
しかし・・・ドアはない。
レンガの高さも人が腰をかがめたぐらいの高さしかない。
大きな穴が掘ってあり、その上に真ん中に四角い穴の開いたコンクリートの板が掛けられている。
これが・・・・トイレ。
出来れば避けたいところだが、既に我慢も限界に来ている!
もう、やるしかない!
穴の中には今までの”ウンチ”がこんもりと山になっていて、その異臭の凄さは今まで嗅いだことのない強烈なもの。
臭いにむせながら、吐き気を我慢してしゃがみこんだら・・・・
タイミング悪く他の人が来てしまったのです!ゲゲッ!
ドアがないから丸見えなのです!
いやぁ~恥ずかしい~
だから、毎日、便秘になってくれることを祈っていたのだが・・・・
残念ながら祈りは通じなかったのでありました。
帰途、高速道路のところから露天掘りの炭鉱を見る。 線路の向こうに見える黒ずんでいるのが石炭らしい。 伊金霍洛旗(エジンホロキ)は石炭の宝庫。 年間1万トンの石炭が採掘され、主に国内の火力発電所で使用されているという。 現在、石炭のガソリン化プロジェクトが進んでおり、高速道路や町の整備が進んでおり、この近くには空港も建設中。 この空港が出来れば北京から1時間でここに来ることが出来るという。 |
ホテルに戻る前に小学校を訪問。 何で小学校を訪問するのか・・・・誰も知らない。 会員の一部からも「意味がない」との声もあった。 趣旨説明もなく小学校を訪問したら言われるよなぁ~ 何が何だかわからないまま、小学校の敷地内を歩き廻る。 (写真はレンガ造りの古い教室) 当然、授業中。 お邪魔じゃなかったかな? |
コンピューター教室 NPOの某会員の寄付によって作られたという。 教室には寄付をした日本人名が付けられている。 黒いのがパソコン。 机に斜めに埋め込まれている。 |
ちょうど休み時間になったのか? 児童達が集ってきた。 |
何だかよくわからない小学校訪問を終えホテルに帰る。
これで、今日の予定は無事全て終了!
昨日から体調を崩していた従兄弟も無事散骨の大役を終えてくれたのでホッとした。
寝込まれちゃったら大変だからねぇ~
精神的にもかなりのプレッシャーがかかっていたんだろうなぁ~
他人の体調ばかりは私がどうこうしてあげることは出来ないからなぁ~
私なんかは参加者が持ってきた梅干をもらったり、従兄弟が持参してきたインスタントコーヒーをいただいたりと、かなり気楽な”同行者”だったからなぁ~
申し訳なし。