本木昌造像 平成20年11月22日

本木昌造 もとき・しょうぞう

文政7年6月9日(1824年7月5日)〜明治8年(1875年)9月3日

長崎県長崎市・長崎公園でお会いしました。


本名は北島。
幼名は作之助、名は永久。
長崎の乙名おとなの家に生まれ、オランダ通詞・本木昌左衛門の養子となり、昌造と称した。
小通詞となり、プチャーチンやペリー来航の際に通訳を務める。
万延元年(1860年)飽ノ浦あくのうら製鉄所御用掛となる。
明治期以後は新町活版所・築地活版製作所などを創設。
活字の製造や体系化を行う。
『長崎新聞』も発行した。


本木昌造像



本木昌造翁像
(長崎県長崎市上西山町19−8・長崎公園)





(平成20年11月22日)

碑文

翁ハ長崎ノ人北島三弥太ノ四男
文政七年ヲ以テ生ル
年十一和蘭通詞本木昌左衛門ニ養ワレ其家業ヲ嗣グ
夙ニ西洋技術ヲ識リ心ヲ活字製造ニ潜ム
嘉永元年和蘭ヨリ印刷機ヲ購イ同四■流シ込ミ活字製造ニ成功
明治三年遂ニ鋳造活字ヲ完成ス
乃チ長崎ニ活版所ヲ創メ其翌年日刊横濱毎日新聞ヲ刊行ス
築地活版所ハ翁ノ指針ニヨリ其高弟平野某ノ大成セシ所ナリ
同八年九月三日病歿ス
時年■十二
明治四十五年従五位ヲ追贈セラル
翁ハ又製鋳造船航海等ニ精シク其道ノ先達タリ
昭和九年此地ニ建フル所ノ銅像戦乱ニ泯滅ス
故ニ茲ニ再建シテ其功業ヲ永ク■昆ニ相傳ウ

昭和廿九年九月
日本印刷工業會

本木昌造像



本木昌造翁像
(長崎県長崎市上西山町19−8・長崎公園)





(平成20年11月22日)

活版伝習所跡


活版伝習所跡
唐通事会所跡

(長崎県長崎市・市立図書館)





(平成20年11月22日)
活版伝習所跡



長崎市立図書館(活版伝習所跡・唐通事会所跡)
(長崎県長崎市興善町1−1)





(平成20年11月22日)

活版伝習所跡

わが国近代活版印刷術の祖、本木昌造がもっとも心をいためたのは鋳造活字及び母型(字母)造りであった。
本木昌造は嘉永4年(1851)「流し込み活字」を造ったが必ずしも満足するものではなかった。
米国における中国布教団の聖書等の印刷所である上海の美華書館長ウイリアム・ガンブルのもとに高弟の平野富二・陽其二らを派遣し、鋳造活字及び電胎法(電気メッキ)による母型造りの指導を求めたが失敗している。
長崎製鉄所頭取本木昌造は英語伝習所教師フルベツキの斡旋により、ウイリアム・ガンブルを長崎製鉄所に迎え明治2年(1869)興善町の唐通事会所跡に活版伝習所を創設した。
ここに於て、わが国の近代活版印刷術は顕著なる発達を遂げ、全国に普及するようになった。

(参考)長崎はわが国近代化の礎を築いた地であり、4カ所の伝習所があった。
1.海軍伝習所 2.医学伝習所 3.英語伝習所 4.活版伝習所

(説明板より)

唐通事とうつうじ会所跡

唐通事は中国語の通訳で、慶長9年(1604)住宅唐人馮六が初めて任命されたが、その後、組織、人員ともに拡張され、慶応3年(1867)の解散までに延べ1644人(実826人)を数えた。
唐通事は、大通事、小通事、稽古通事の3職を中心に、24もの役職があった。
同会所は唐通事の事務所で、最初は年番大通事宅が事務所にあてられたが、宝暦元年(1751)今町(現:金屋町)に、さらに同12年(1762)この地に設けられた。
敷地は256坪。

(説明板より)




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