寛政5年(1794年)〜慶応3年11月25日(1867年12月20日)
伊予国の生まれ。
画の署名のかわりに拳骨げんこつを押したので拳骨和尚と通称されたと言われているが、腕力が強かったためという説もある。
備後国伝福寺で出家したのち諸国を行脚。
文政2年(1819年)尾道済法寺の住持となる。
和歌・俳句・書画に通じる一方、武芸にも長じ、その方面での奇行も多い。
不遷流柔術の開祖。
勤皇倒幕の志士との交流もあり、薩長連合の策を講じて奔走した。
物外
あれは伊予
こちらは備後びんご春の風
愛媛県松山の人、三原侯に信任されて尾道市栗原町済法寺の住職となった。
文武二道に達し、俳諧書道から三味線をもたしなみ、拳骨和尚の異名で有名である。
この句は、伊予に生まれて、備後に育った和尚の、なごやかな気持ちがうかがわれる。
(説明板より)
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