ボソボソの慰霊碑と野口兵団の慰霊碑再訪問

(ボソボソ・御光山)


平成18年(2006年)11月1日

午前10時、ボソボソの慰霊碑に到着。
ガイドのステラさんも場所を良く知らないというので、方向音痴の私が案内することになってしまった。
このあたりだったかなぁ〜
この先辺りで曲がったような・・・・
殆ど勘に頼って、迷子にもならず無事に慰霊碑の前に到着する。
3年連続3回目の訪問なのにねぇ〜
何回来ても場所が憶えられない。

慰霊碑の入口 2年前訪問当時の慰霊碑入口
慰霊碑入口 2004年5月8日訪問当時

以前来た時より木々が伸びたのか、わかりづらくなっていました。
多分・・・・誰も慰霊に来ないんだろうなぁ〜
2年前と比べると、こうだからなぁ〜・・・・来年はどうなっちゃうんでしょ?

ボソボソの慰霊碑 ボソボソの慰霊碑

この慰霊碑の丘のところで、海上挺進基地第8大隊のご遺族と約束した“土”を採取。
と・・・目の前に黄色い花が・・・
これも少し頂いていくか。
土と一緒にこの花もお墓に入れていただこう。

近所の“おじさん”が日本のタバコが欲しいと言うのでタバコを1箱プレゼントする。

続いてボソボソの教会のほうへ行ってみる。

お墓に供えるお花 お墓に供えるお花

教会の前にはお墓に供えるお花を売る店などが出ていて賑やかでした。
人も多く出ていて道路はごった返していて、お祭りなのかお墓参りなのかわからないような賑わい。

「私が知っている慰霊碑はこの近くにあったんだけど・・・もう随分昔のことだから・・・」とステラさん。
多分、それは川北大隊の慰霊碑ではなかろうか?
もう撤去されているはずだけど、どの辺りにあったのだろうか・・・
確か・・・教会の前のバスケットコートの近くだったと聞いたことがあるのだが・・・・
憲兵隊だったか警備隊だったか・・・本部として接収した現地の民家の裏辺り・・・
とは言っても・・・どの家がその家なのかなんてわかるはずもない。
バスケットコートは今日だけの臨時駐車場なのか、駐車場として使われていた。
さて、裏手に回ってみますか。

旧川北大隊慰霊碑建立場所 昔、川北大隊の慰霊碑があった場所
移転先の銘板 移転先の銘板

バスケットコートの裏手のフェンスの基礎部分に川北大隊慰霊碑の移転先を示す銘板があるのを発見!
一体、誰が作ったんだろうか?
川北大隊の遺族会からは、そういう話は聞いていないから・・・・関係者ではないような気がするが・・・
それにしても丁寧でありがたいことではないか。
もし、誰か縁ある方が訪れた時のために設置しておいてくれたのだろう。
感謝!感謝!

続いて“御光山”の野口兵団慰霊碑に向かうが、これが問題。
ガイドのステラさんは行ったことがないという。
そこで、ガイド仲間の“ヒデ子さん”に尋ねておおよその場所は教えてもらったそうなのだが・・・・
細かいところはわからないという。
またしても私の記憶だけが頼り・・・ということになってしまった。
さてぇ〜どこだったかなぁ〜
昨年初めて行ったのだが、団体だったし・・・バスだったし・・・・
確かどこかの下り坂の右カーブの頂点あたりだったんだけどなぁ〜
「この道を真っ直ぐでいいんですか?」って聞かれてもねぇ。
とにかく場所は覚えているが、そこまでの道順は知らない。
まもなく私の記憶にあるカーブにさしかかった。
「ここだぁ!」
無事に目的地に到着。

道路から山側へ小道を徒歩で入ると、子供達がやってきて、いきなり私の手を取り自分の額に当てた!
突然のことでビックリ!
一体、何事が起こったのかわからなかった。
ステラさんの話では、これは目上の人に敬意を表す挨拶なのだそうだ。
あ〜びっくりした!

野口兵団の慰霊碑 野口兵団の慰霊碑

この慰霊碑は個人宅の庭にあるので、この家の方にまずご挨拶。
お線香をあげてお参りをする。
ここの方と会うのは1年ぶり。
車椅子に乗ったおじいさんが「去年来た人だ。顔を覚えている」と言っているとステラさんが通訳してくれた。
ステラさんの通訳でしばし雑談。
2月に日本人の団体が来て、7月に日本人2人とフィリピン人1人の3人グループが来たという。
そうなると・・・私は久しぶりの日本人?
今回はインスタントカメラの『チェキ』を持ってきたので、子供達(このおじいさんのお孫さんか?)の写真を一人一人撮ってプレゼントする。
大人になって、この写真を見て「この写真を撮ってくれた日本人どうしているのかなぁ〜」なんて思い出してくれたらありがたい。
おじいさんは慰霊碑の周りの清掃をしていて足を切ってしまい、糖尿病が悪化して足を切断したという。
おじいさんには慰霊碑管理のお礼に僅かながらのお金を手渡しお別れする。
この時迂闊にもおじいさんのお名前を聞くのを忘れてしまった〜
やっちゃった!大失敗。
ついでに、日本軍陣地場所が近くにあるのか、陣地跡は今でも残っているのか、そこへは行くことができるのか・・・等々の聞いておくべきことをうっかり忘れてしまったぁ!
参ったなぁ〜やっちゃったぁ〜
やっぱり事前に質問事項をメモしておくべきだったなぁ〜

海上挺進部隊関係で言うと、ここ“御光山”には昭和20年5月30日頃、海上挺進基地第9大隊が野口兵団(歩兵第82旅団・野口少将指揮)に所属する飛行場大隊長・鈴木権三郎少佐の指揮の下に『御光山残地部隊』として戦闘に参加している。
ということで、何か戦跡が今でも残っているのではないかと思っていたのだが・・・・聞くのを忘れた!
次回来た時に聞くか。それまでおじさんが元気でいてくれることを願いしかない。

さて、ここからは来た道をそのままマニラに戻ることにした。
時間は11時を過ぎたところ。
お昼はステラさんのご自宅でご馳走してくださるというのでご好意に甘えることとする。

車を停めていたカーブの所から約30メートルくらい戻った坂道の途中。
ふと外を眺めると・・・・・あっ!
一瞬“御光山”と思われる山頂がはっきりと見えた!
写真を撮らねば!
と思ったが間に合わない。
今から戻ることも無理だろうし運転手に迷惑をかけるから・・・・これまた次回だな。

一応次回訪問のため、この場所の名前を運転手に聞いたら“ピグガイ“と言う。


 


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