武茂泰宗像 平成19年12月21日

武茂泰宗 むも・やすむね

栃木県那須郡那珂川町馬頭・乾徳寺前でお会いしました。


武茂泰宗像




武茂城主武茂泰宗之像

(栃木県那須郡那珂川町馬頭・乾徳寺前)




(平成19年10月21日)
武茂泰宗像




武茂城主武茂泰宗之像

(栃木県那須郡那珂川町馬頭・乾徳寺前)




(平成19年10月21日)

武茂泰宗と一族譜

関白藤原氏を系譜とする名族
宇都宮7代城主景綱の三男泰宗が正応応仁の頃(1288〜)武茂の荘を領して武茂氏の始祖となった
初代泰宗は 傑出した歌人であった父の影響を受け鎌倉や京都歌壇との交流を密に 早くから詠歌にいそしんでいた
泰宗の歌は 続捨遺和歌集を初めとする勅撰和歌集に15首がのるなど 多くの秀作を今日に伝えている
武茂氏は 宗家宇都宮氏の中でも有力支族であった
泰宗の子貞泰は京都守護職をつとめ 尚伊予宇都宮系譜によれば貞泰の男宗泰が伊予宇都宮2代城主となり 天正13年(1585)まで8代にわたって大洲に居城した
3代泰藤は 南北朝の戦乱を弟氏泰と共に南朝方の武将として奮戦したが 戦いに利無く再起実らず三河大和田に住まい 妙国寺を建立して諸々の霊を弔った
泰藤の子孫は 徳川氏に仕え7代忠茂の代に姓を大久保と改め 譜代の重臣として数々の事蹟を留めている
6代持綱が 宇都宮13代城主となり武茂氏は一時断絶するが 永正3年(1506)宇都宮正綱三男兼綱をもって再興された
降って常陸佐竹氏の下野進出に伴い 武茂氏はその旗下に属し慶長7年(1602)の佐竹氏秋田移封に随行して武茂城は廃城となった
城郭内の乾徳寺は 武茂氏300年にわたる一族の菩提寺として建立されたものである

平成5年10月吉日
馬頭町長 白寄■

(副碑・碑文より)


武茂氏墓碑



武茂氏墓碑
(乾徳寺墓所)





(平成19年10月21日)

馬頭町指定文化財(昭和43年3月13日指定)
武茂むも氏墓碑

武茂氏は、下野国中央部に勢力を誇った宇都宮氏の支族で、鎌倉幕府高位官僚の評定衆として、執権の補佐にあたった宇都宮7代城主景綱の三男、泰宗を始祖とする一族です。
泰宗が武茂氏を起こしたのは鎌倉時代末期の正応・永仁年間(1288〜98)の頃とされ、15世紀中頃から16世紀初頭にかけて一時断絶期間がありますが、戦国時代末期の文禄4年(1595)までの約300年間、馬頭町域一帯を支配しました。乾徳寺は武茂一族の菩提寺で、この石塔類は一族に関するものと考えられ、古文書により、江戸時代の享保16年(1731)に散逸していたものをここに整理したことが知られています。
現在10基ほどの宝篋印塔ほうきょういんとう・五輪塔がありますが、完全なものは3基で、他は石組みが乱れています。
一部鎌倉時代から南北朝期にかけて造られたものもみられますが、宝篋印塔の相輪部・笠の突起部・基壇の簡略な石刻みの手法から見て、戦国時代の末期のものが大半を占めています。
このほか境内には、完全な形ではありませんが、40基近い宝篋印塔・五輪塔が散在しており、これらも武茂一族に係わるものと推定されます。

那珂川町教育委員会

(説明板より)

乾徳寺




乾徳寺

(栃木県那須郡那珂川町馬頭114)




(平成19年10月21日)

乾徳寺の由来

大渓院 龍沢山 乾徳寺と称す。
大本山は福井県永平寺。横浜市総持寺。
武茂城跡は山門に向って左側の山一帯と右側の山一帯の根古屋が城跡としてのこっている。
本丸、二の丸、三の丸と続き昔のおもかげがのこされている。
正応永仁(1288年)伏見桃山時代、武茂泰宗が築城した。
泰宗武茂庄十余郷を領して武茂氏となる。
応永14年(1407年)武茂氏一旦断絶する。
寛正4年(1463年)宇都宮正綱の三男、兼綱が武茂氏を相続し一万石の領主となる。
兼綱、乾徳寺を建立、武茂家の菩提寺とした。
武茂累代の墓石が当山の墓地中央にある。
山門は武茂家の門として武茂家の定紋が両側に刻されており、菩提寺へ寄贈されたものである。
様式は桃山時代の建築を取入れ、質素な構造物である。
改修札に安永2年霜月大改修の棟札が残されている。
乾徳寺は三面山岳を以て渓間幽谷の地にあり、東に龍ヶ沢、西に闇ヶ沢、かゝる浄音の地にあるも、偶々明治36年4月8日、町内よりの飛火に不慮の火災に逢い七堂がらん悉く灰燼に帰せり。
再建に檀徒の総力と信者の浄財を得て、同44年4月4日、当山41世保寿代、8年の歳月を以て現在の本堂及び開山堂が再建されました。
境内には、経済の成長と共に、人心の安定を見るにいたり昭和36年3月当寺の遺族会が中心になり戦死病歿者壹百貮拾貮柱の英霊塔を建立発願し稲田花崗岩の多宝塔に戦歿者の名前を記し長く冥福を祈念する。
毎年3月慰霊祭、同年5月源明院殿菩薩の為、神場多巳一氏が鐘楼堂を寄進する。
昭和38年庫裏及び書院の新築を発願同40年完成渓雲閣とする。
■山禅師650年記念事業として本堂及び開山堂その他を銅板葺替え47年2月、完成、盛大なる報恩の落慶法要を営む。
同48年方丈の間を一棟、本堂の右側に建立。
昭和48年3月墓地造成し、北霊園墓地二期工事として、山門の右側へ南霊園を造成する。
昭和55年4月子育水子地蔵尊青銅色台座より5メートル50センチ 台座は、和見石以て地蔵尊を安置した。
地蔵尊建立と同時に中門移転改修し造園事業を行い環境の整備をし毎年5月5日、子供の日に例祭を行う。
昭和59年7月、寺務局の室を作る。
同年11月八角堂の宝徳殿を建立 永平寺禅師を迎え11月落慶法要を行う。

武茂氏系図
正応永仁(690年)泰宗城主
宇都宮正綱三男兼綱武茂相続
守綱
堅綱
輝綱(永禄)大館市
安綱(安正)
久綱(貞享)
金綱(元禄)
重綱(元禄)
邦綱(安永)
房綱(安永)
備綱(延享)
教綱(文化)
徳綱(安政)
維綱(大正)
( )は歿時
現在大館市に子孫の信雄氏

(説明板より)



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