平成16年10月1日
嘉永元年7月8日(1848年8月6日)〜大正10年(1921年)1月13日
京都市伏見区・乃木神社でお会いしました。
略歴
1848年 | 嘉永元年 | 1歳 | 鹿児島県に生まれる。 |
1864年 | 元治元年 | 17歳 | 藩主・島津忠義公の近習小姓となる。 |
1865年 | 慶應元年 | 18歳 | 西郷隆盛、大久保利通の推挙で近習番役に昇進する。 |
1870年 | 明治3年 | 23歳 | 鹿児島第三学校の二等教授となる。 |
1872年 | 明治5年 | 25歳 | 上京し、警察官となる。 |
1874年 | 明治7年 | 27歳 | 警察官を辞め、台湾征討の志願兵として従軍する。 出征中にマラリアに罹る。 |
1876年 | 明治9年 | 29歳 | 兵庫県令・森岡昌純の推挙で飾磨県(現:兵庫県)の五等警部となる。 |
1880年 | 明治13年 | 33歳 | 兵庫県会開設委員。神戸区長心得。 |
1881年 | 明治14年 | 34歳 | 神戸区長(今の神戸市長)となる。 |
1882年 | 明治15年 | 35歳 | 神戸商業講習所(現:県立神戸商業高校)監督兼務。 |
1883年 | 明治16年 | 36歳 | 山陽鉄道敷設の意見を発表。 |
1884年 | 明治17年 | 37歳 | 太政官辞令・神戸区長となる。 |
1885年 | 明治18年 | 38歳 | 兵庫県書記官となる。 |
1886年 | 明治19年 | 39歳 | 兵庫県書記官辞任。 |
1887年 | 明治20年 | 40歳 | 神戸商業会議所(現:神戸商工会議所)を創設。会頭に就任。 |
1888年 | 明治21年 | 41歳 | 山陽鉄道会社副会長。 |
1892年 | 明治25年 | 45歳 | 衆議院議員に初当選。 |
1894年 | 明治27年 | 47歳 | 豊州鉄道株式会社を設立。 |
1896年 | 明治29年 | 49歳 | 阪鶴鉄道会社の創立発起人となる。 |
1897年 | 明治30年 | 50歳 | 門司鉄道会社の創立発起人となる。 |
1898年 | 明治31年 | 51歳 | 摂津電気鉄道会社の創立発起人となる。 |
1902年 | 明治35年 | 55歳 | 豊川鉄道株式会社取締役就任。 |
1905年 | 明治38年 | 58歳 | 南海電気鉄道会社取締役就任。 |
1906年 | 明治39年 | 59歳 | 京阪電気鉄道会社取締役就任。 |
1907年 | 明治40年 | 60歳 | 神戸電気鉄道株式会社社長に就任。 |
1909年 | 明治42年 | 62歳 | 浪速起動株式会社取締役就任。 |
1913年 | 大正2年 | 66歳 | 乃木将軍殉死1周年を機に村野徒弟学校、乃木神社建立を発表。 関連会社を全て辞職し全財産を提供し財団法人を設立。 |
1916年 | 大正5年 | 69歳 | 京都伏見に乃木神社を建立。 |
1920年 | 大正9年 | 73歳 | 村野徒弟学校建設。 |
1921年 | 大正10年 | 74歳 | マラリアの再発により没する。 |
『村野山人君像』 立按模型 大塚楽堂 基石構造 中島勘次郎 (平成16年10月1日) |
碑文
君鹿兒島人苦學勵精身小吏進至兵庫縣書記官後辭而従事實業徳望兪加嘗慕乃木大将忠烈當其小忌親給抛世務擧家産建乃木神社又創徒學校君資性英俊気宇闊達有斷行之勇大正十年一月十二日君疾病特旨叙正五位終帝于須磨邸享齢七十四今茲舊友胥謀鑄銅造君像建之神祠畔以傅於不朽
大正十四年一月
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