室生犀星 むろう・さいせい

明治22年(1889年)8月1日〜昭和37年(1962年)3月26日


本名は照道。
石川県出身。
私生児に生まれ、寺の子として育つ。
上京して貧窮・無頼生活の中で詩作に励み、萩原朔太郎と強い友情で結ばれた。
大正7年(1918年)、『愛の詩集』『抒情小曲集』を刊行。
翌年に抒情詩的小説『幼年時代』『性に目覚める頃』などを発表。
やがて市井鬼もので下層社会に生きる人々を描く。
第二次世界大戦後の作品に自伝的な『杏あんずつ子』、前衛的な『蜜のあはれ』がある。
昭和37年、72歳で没す。


旧居跡地


室生犀星旧居跡地
(東京都北区田端5丁目)

写真右の植え込みがある場所。




(平成18年1月25日)

室生犀星旧居跡地

室生犀星(詩人・小説家 明治22年〜昭和37年)は、大正5年7月田端163(現・3−4)番地転入をはじめとし、その後田端内を数回転居しました。
なかでもここ田端523(現・5−5)番地は、居住期間が最も長く、特に気に入っていた場所のひとつです。
犀星の文学への開眼は俳句にあります。
魚眠洞という俳号を持ち、生涯において4冊の句集を含む約1750の句作を行いました。
田端時代は作家・芥川龍之介等と句作に打ち込むと同時に、詩人として、また小説家として出発した時期でもありました。

(説明板より)


詩人  小説家  句作  俳句  俳人



 トップページに戻る   人物と史跡のリストに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送