永倉新八 ながくら・しんぱち

天保10年4月11日(1839年5月23日)〜大正4年(1915年)1月5日


永倉新八来訪の地




新選組隊士永倉新八来訪の地
(北海道札幌市・北海道大学前)





(平成22年5月26日

永倉新八来訪の地プレート

新選組隊士永倉新八来訪の地

旧幕臣・新選組副長助勤・永倉新八(天保10年=1839年=4月11日生まれ)は、徳川幕府崩壊後は杉村義衛と改名して大正年間まで生きた。
有名な京都池田屋戦のときは幕府から感状をうけるなど抜群の働きをした。
土方歳三・沖田総司とならぶ剣客。
晩年は北大剣道場などで剣道の型を指南。
各地を歴訪するなど悠々自適の生活を送った。
「武士もののふせつを尽くして厭あくまでも貫つらぬき現竹の心一筋ひとすじ」の歌を残して、大正4年(1915年)1月5日、小樽の自宅で行年77歳を一期にその劇的な生涯の幕を閉じた。
新八ゆかりの道場は現北大本部北西に位置していた。

(説明板より)

晩年の新八 (説明板より)




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