長野県護国神社

長野県松本市美須々6−1


長野県護国神社 平成20年10月25日

御祭神

長野県出身の明治戊辰の役以来大東亜戦争に殉ぜられた御英霊を奉齋。

御由緒

昭和13年県民の総意によって本県の中央であり旧陸軍歩兵第50連隊に隣接する現在地に仮殿が創設され、同年11月鎮座祭を斎行し、長野県招魂社として鎮座されました。
昭和14年には長野縣護國神社に改称し、内務大臣指定を受け、同17年に現在の御社殿・齋館が竣工されました。
昭和21年神道指令により宗教法人として発足し、昭和32年神社本庁より別表神社に指定されました。
厳しい世情の中、御遺徳顕彰のため、歴史を重ねる毎に御遺族を始め崇拝者皆様の格別なる尊い御浄財の御奉賛を賜り、弓道場・美須々会館の建設又、諸設備及び境内の整備を進める尊い周年の記念の事業が、完成されてまいりました。
平成16年には現在の社務所の新築、参道敷石工事他境内整備事業が県内外の皆様の温かい御奉賛により竣工されました。
ここに謹んで御神霊に感謝の誠を捧げ、県民奉齋の神社として、その崇高な御神徳を敬迎し、郷土をはじめ祖国日本の永遠の平和と繁栄の御守護を祈念してやみません。

神域

境内の総面積は10,355坪余り(34,172平方メートル)で、境内の樹木は昭和17年までに県内市町村より献木せられ、四季の変化をこまやかに映し出す境内は野鳥の群れ集う「美須々の森」として参拝者はもちろん市民の憩いの場としても親しまれております。

(リーフレットより)

 

嗚呼戦友の碑



「南十字星の下に散華せる 嗚呼戦友」の碑

杉山茂 謹書




(平成20年10月25日)

碑文

大東亜戦争に日本を遠く遥か南溟の彼方ニューギニア島及び其の周辺に祖國防衛のため挺身し海行かば水漬く屍山行かば草むす屍と散りし友の歩んだ途は惨烈悲壮筆舌に尽くし難し
嗚呼 友の霊何処にぞ
戦終り時移り此処に三十年今ぞ群霊懐かしの故郷信州に帰りてこの地に鎮まり新しき日本の礎となる
吾等亡き友の昔日を偲び 御霊よ 久遠に安かれ と信濃の國各地の不変の石にこの祈願を刻しやがては同じ石下に吾等も魂魄を鎮め共に昔を語らんことを期して此処にこれを建てる

長野県ニューギニア会
昭和49年7月28日

副碑・碑文

戦没者名〜(略)〜

『嗚呼戦友』の碑建立以来、30年の星霜を経、戦後60年 生存戦友の高齢化・世代交代等の進む中で 戦没者の追悼と恒久なる平和を切に願って、後世に伝える証として茲に、芳銘板を設置いたしました。
併せて碑周辺の整備を致し、御遺族・会員各位の多大なる御協力のもとに、永年の懸案を成就に至りました。

平成16年12月吉日
長野県ニューギニア会
建設委員会 高野 尚
  同     稲垣一良
  同     勝家義文
  同     横田 久
  同     原 正彦

平和の像




「平和」の像






(平成20年10月25日)

碑文

第二次世界大戦は 日本国民のみならず 他の諸国民にも 多大な犠牲を強いたうえ 1945年(昭和20年)8月15日終戦となった。
爾来年月は流れて 戦争を知らない世代の者が多数を占めるに至ったが 戦争の悲惨さと平和の尊さはいつまでも語り継がれなければならない。
ここに終戦五十周年を迎えるにあたり往時を偲び諸霊に追悼の誠を捧げ この像を建立し永久の平和を祈念するものである。

1995年(平成7年)8月15日
松本深志ライオンズクラブ

シベリア抑留慰霊碑



シベリア抑留慰霊碑


相澤英之 書




(平成20年10月25日)

碑文

1945年8月の終戦は、ポツダム宣言の受諾によるが、同宣言9項を無視したソ連の蛮行により、日本軍将兵ら60万余がシベリア各地へ強制連行され、飢餓、酷寒、過酷労働の三重苦に苛まれ、犠牲者6万余に及ぶ悲劇的な大惨事となった。
人道に悖るかかる暴挙の風化を忍べず、忘却させてはならない残酷史として後世に伝え、犠牲者の冥福と恒久平和を祈念し、本慰霊碑を建立する。

2005年8月9日
シベリア抑留慰霊碑建立委員会

異国の丘歌碑 「異国の丘」歌碑

献木


献木

長野県ブーゲンビル会
平成7年11月吉日




(平成20年10月25日)

奉納 一位 歩兵第50連隊通信隊戦友会
拓友の碑 佐藤中隊
拓友の碑 第7次斉藤隊
砲魂の碑 山砲兵第51連隊第4中隊




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