長崎県長崎市上野町22−6
平成19年3月27日
永井隆博士は、戦後子どもたちのすさんだ心を少しでも豊かにしようと、私財を投じて子どものための図書室「うららの本箱」を自宅(如己堂ではない)横に増築した。
アメリカでは寄贈運動が起こり、市民から数千冊の洋書が寄贈された。
昭和25(1950)年5月、ブラジル在留邦人で一時帰国した宮崎隆栄氏(佐世保出身)が、博士の病床を訪れ、「うららの本箱」の様子を見て、図書館建設について話したところ、同年12月、宮崎氏の実弟(当時佐世保在住)に博士が「子ども図書館」建築構想を語り、翌26年から27年にかけてブラジル在留邦人471人(団体含む)の寄附金1,747,188円が送金される。
その寄附金と市費(約40万円)を併せ、昭和27年12月、「長崎市立永井図書館」(113.22u、鉄筋コンクリート平屋)が完成。
昭和44(1969)年には、「長崎市永井記念館」と改称した。
さらに、平成12(2000)年4月、全面改築(305u、鉄筋コンクリート2階建て)して、「長崎市永井隆記念館」と改称し、博士の精神を広く内外に伝えている。
(リーフレットより)
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如己堂 (長崎永井隆記念館) (平成19年3月27日) |
如己堂にょこどう
長崎市名誉市民、永井隆医学博士の病室兼書斎。
島根県出身の永井博士は、長崎医科大学卒業後、放射線医学を専攻した。
当時は結核患者が多く、医療機器も不十分だったことから、放射線を過量に受け、「慢性骨髄性白血病 余命3年」と宣告された。
その2ヶ月後、原爆を被爆し大けがを負って妻までも失ったが、被災者の救護活動に積極的に取り組み、ついには寝たきりとなってしまった。
しかし、科学者としての不屈の研究心とカトリック信者としての厚い信仰心もあって、病床にありながら十数冊もの著書を執筆した。
博士は、この建物を「己の如く隣人を愛せよ」との意味から『如己堂』と名づけ、ここで2人の子どもと生活した。
そして、ここから世界中の人々に戦争の愚かさと、平和の尊さを発信し続け、昭和26(1951)年5月1日、43歳で永眠した。
博士の恒久平和と隣人愛の精神は、今も多くの人に受け継がれており、如己堂はその象徴となっている。
長崎市教育委員会
(説明板より)
展示室(1階)観覧料金
一般:100円
※ 小・中・高校生は無料です。
※ 図書室(2階)の利用は無料です。
開館時間:9時〜17時
休館日:12月29日〜1月3日
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