長島銀蔵像 平成18年4月13日

長島銀蔵 ながしま・ぎんぞう

明治34年(1901年)11月25日〜昭和59年(1984年)

静岡県静岡市・静岡県護国神社でお会いしました。


長島銀蔵像



長島銀蔵翁之寿像

静岡県護国神社





(平成18年4月13日)

長島銀蔵先生は、若くして父業を継ぎ、勤勉努力精進は、今日広く世界各国に知られている塗料ラッカーを創製するに至ったのである。
尚先生は貴族院議員、次で参議院議員等に当選されて、政界に活躍された。
大東亜戦争は、国力を消耗し盡して終戦を告げ、混迷の世相の中に戸惑う戦没者遺族の悲境を目前に、強く胸を打たれ、これを黙視するに忍びず、幸いに中央政界にあった先生は一方に於て、県内遺族の基礎を固め、他方東奔西走して全国に同志を糾合し、遺族会の統合団結を図り、昭和22年11月遂に日本遺族厚生連盟を結成し、推されて理事長に就任されたのである。
時恰も終戦後日浅く、占領軍政下の厳しい国内情勢下にあって、物心共に言語に絶する苦難の継續であったが、先生の強固なる決意は之に屈せず、多額の私財を投じて、初心を貫徹されたのである。
この苦闘の事蹟は本県はもとより、我が国戦没遺族会史の上に特筆すべき成果であると確信するものである。
茲に於て長島銀蔵先生を遺族の父と仰ぎ永くその徳を称えんが為に、本県遺族会は、日本遺族会並びに全国各都道府県遺族会の御協賛のもとに、全会員の赤誠と、国土安穏世界平和の祈願を込めて、此の胸像を建立した。

昭和48年9月28日
財団法人静岡県遺族会
長島銀蔵先生胸像建立委員会

(碑文より)


高等小学校卒業後、独学でドイツ語や化学を学び、「ラッカー」塗料の創製に成功する。
また、戦後間もない時期に日本のペニシリンの生産を一手に支えた。
昭和22年、日本遺族厚生連盟を結成、『戦没者遺族の父』と呼ばれる。


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遺族会




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