中井コッフ

明治14年(1881年)〜昭和37年(1962年)


中井コッフ歌碑



中井コッフ歌碑

(愛媛県宇和島市・宇和島城





(平成19年11月6日)

中井コッフ歌碑

松山の正岡子規、宇和島の中井コッフと、日本歌壇に並び称された歌人コッフは昭和37年3月、永眠するまで80年の生涯を通じて、実に6万首を超える短歌を詠み積んでいる。
しかも、その詠草は、いずれも秀逸で幽遠な歌風は広く天下に絶賛を博している。
また他面、本業であった医師としての中井先生はそのかみの郷土―宇和島町で、明治42年から四国最初の小児科専門の名国手として活躍、数多後進の診療に寝食を忘れて尽力し、慈父のように人々から敬慕されていた。
昭和33年11月3日、第7回、愛媛県教育文化賞を受賞した機会に、郷土文化人の師表としての、高雅な業績を永久に記念するため、代表歌(大正13年 作)の一首を、作者の筆跡のまま、拡大して篆刻し、昭和35年11月3日、歌碑としてここに建立したものである。

碑面の歌書

  夕山二鳴きのこりたる鳥の声
       一つひゞきて静かなるか母

昭和37年4月8日
中井コッフ歌碑保存会

(説明板より)


中井コッフ

コッフはペンネームで、ドイツ語の「フォーゲル・コップ」(鳥の頭)から来ている。
明治14年(1881年)6月23日、北宇和郡来村保田(現・宇和島市)に生まれた。
愛知医学専門学校を卒業して、小児科医院を開業。
短歌は、橋田東声に師事。
『覇王樹』同人。
歌集に『山雨』その他がある。
絵をよくし、書をよくした。
昭和37年(1962年)3月18日没。
82歳。

宇和島城にある歌碑の歌は、大正13年(1924年・43歳)、別府市の温泉に病を養った時の作である。

(参考:宇和島文化協会発行 『宇和島の自然と文化(6訂版)』 平成11年)

(平成22年11月30日追記)



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