中島藤右衛門 なかじま・とうえもん

延享2年(1745年)〜文政8年4月8日(1825年5月25日)


常陸国(茨城県)久慈郡諸沢村生まれ。
宝暦9年(1759年)腐りやすく輸送にも不便な生蒟蒻こんにゃくの乾燥法に着手。
安政5年(1776年)成功。
寛政12年(1800年)諸沢村に蒟蒻会所を設立。
水戸藩の特産物として販路の拡大に貢献した。





粉蒟蒻の始祖
中島藤右衛門翁顕彰之碑
農林水産大臣 亀岡高夫 書
(茨城県常陸大宮市山方・常陸大宮市山方総合支所)




(平成21年6月7日)

翁の生誕

負詮藤右衛門と称し延享2年久慈郡諸沢村大字地割(現山方町諸沢)に生る
遠祖は藤原氏
佐竹氏に属し佐竹の秋田移封により帰農定住するに至った
翁の人と為り資質非凡にして精力絶倫不撓不屈而も慈悲に富み農民敬愛の的となる
因みに当地は男体山金砂山の峻嶺に近く耕地の僅少に加え表土浅く生産力極めて乏しきを憂いたが唯土質が蒟蒻栽培に適するを知り唯一の換金作物として翁は熱心にこれが栽培の普及と指導奨励に努めた

粉蒟蒻発明の動機

生玉の蒟蒻は重量も大で運搬が困難のため販路も限られ更に寒さに弱く腐敗し易いため貯蔵困難年間を通じての需用に応じ難い欠点があり翁これを憂いていたところたまたま鍬で切られた蒟蒻の■片が天日によって乾燥したものを発見しこれを粉末にして食料に供されぬものかと考えその乾燥製粉等の研究に苦心の末安永5年遂に粉蒟蒻の製法を完成した
翁は早速水車を利用して粉砕し煽り粉に含む澱粉質を風にあてゝ除去する方法を工夫純粋な粉蒟蒻の製法を開発して大いに販路を拡めるに至った
人々は皆これを賞賛し翁の徳を偲び各地に藤右衛門講をつくり春秋に感謝の集いを催し翁の遺徳を仰ぎ今日に至るまで受け継がれている
翁は粉蒟蒻の開発のみに止まらず各種殖産興業に尽瘁し文政8年4月8日行年81才を以て他界された
その戒名は遊性院自覚誠翁居士という

昭和56年3月 全国蒟蒻協同組合連合会之建

(碑文より)

 蒟蒻芋 (副碑より)






中島藤右衛門翁顕彰之碑
(茨城県常陸大宮市山方・常陸大宮市山方総合支所)




(平成21年6月7日)



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