天保12年3月8日(1841年4月28日)~明治33年(1900年)4月14日
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中條政恒翁頌徳碑 (福島県郡山市開成・開成山大神宮) (平成23年8月6日) |
中條政恒翁頌徳碑
「安積開拓の父」といわれる中條政恒は、天保12年(1841)に、米沢藩士の長男として山形県館山に生まれ、藩校興譲館で学んだ後、江戸に出て学問を修め見聞を広めた。
彼は開拓事業に目を向け、樺太移住開拓を持論とし、後に北海道開拓を提案したが、幕末の動乱の中で採用されなかった。
明治5年(1872)に、福島県令(現在の知事)安場保和に大槻原開墾の指導者として迎えられた中條は、郡山の商人25人による「開成社」の協力を得て明治9年に桑野村を誕生させた。
この荒野開墾の成果が認められて、明治12年から国の事業として安積疎水の開さくと安積野開拓が進められ、これらの事業が成功して、現在の郡山市の発展の基盤となった。
この二つ事業の推進者が中條政恒であった。
碑文は大久保利通の長男利武の撰文で、彫像は北村西望の作である。
安積野開拓顕彰会
(説明板より)
レリーフ
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