中村憲吉 なかむら・けんきち

明治22年(1889年)1月25日〜昭和9年(1934年)5月5日


広島県出身。
東大卒。
家業の酒造業に従事。
明治41年(1908年)創刊の『アララギ』に参加、翌年上京して伊藤左千夫に入門。
大正5年(1916年)歌集『林泉集』を刊行し、青春の浪漫的な感傷や官能を表現した。
大正10年(1921年)〜昭和元年(1926年)大阪毎日新聞社に勤務。
次第に写実的な歌風に移り、人生を深く観照する東洋的境地に到達した。


中村憲吉旧居


中村憲吉旧居
(広島県尾道市・千光寺公園下)

憲吉が闘病生活を送った離れ。
母屋は取り壊され、今は無い。



(平成18年3月21日)

中村憲吉旧居

ここで時折斎藤茂吉・土屋文明らにも見舞われ病と闘った憲吉も、昭和9(1934)年5月5日、娘たちの旅先から届いた絵はがきに機嫌よく笑ったりしていたが、急に息苦しくなり、看病の甲斐なく午後7時40分、帰らぬ人となった。

(リーフレットより)

旧居内部



旧居内部







(平成18年3月21日)
旧居内部



旧居内部







(平成18年3月21日)
略年譜
明治22 1889 1月25日、広島県双三郡布野村上布野に生まれる 大日本帝国憲法発布
東海道本線全通
明治34 1901 広島県立三次中学校に入学 福沢諭吉・没
明治35 1902 正岡子規・没
明治37 1904 日露戦争(〜1905)
小泉八雲・没
明治39 1906 第七高等学校造士館(鹿児島県)に入学 『坊ちゃん』夏目漱石
明治40 1907 学友・堀内卓造の勧めで短歌を始める 『蒲団』田山花袋
明治41 1908 「アララギ」創刊
明治42 1909 上京し、伊藤左千夫を訪問、「アララギ」に入る 「スバル」創刊
伊藤博文・没
明治43 1910 東京帝国大学に入学 「白樺」創刊
明治45 1912 石川啄木・没
大正 2 1913 島木赤彦との合著『馬鈴薯の花』を刊行 伊藤左千夫・没
岡倉天心・没
大正 4 1915 『羅生門』芥川龍之介
大正 5 1916 帰郷して家業に従事。第二歌集『林泉集』を刊行 夏目漱石・没
『高瀬舟』森鴎外
大正10 1921 大阪毎日新聞社経済部記者となる 『暗夜行路』志賀直哉
「明星」廃刊
大正11 1922 森鴎外・没
大正12 1923 関東大震災
大正13 1924 第三歌集『しがらみ』を刊行 『痴人の愛』谷崎潤一郎
『赤光』斎藤茂吉
大正14 1925 自選歌集『松の芽』を刊行 東京放送局ラジオ放送開始
大正15 1926 家督相続を機に退社、帰郷して家業に従事 文芸家協会設立
昭和 2 1927 芥川龍之介・自殺
新海竹太郎・没
昭和 3 1928 若山牧水・没
昭和 5 1930 斎藤茂吉、平福百穂と山陽を旅行する 田山花袋・没
昭和 6 1931 第四歌集『軽雷集』を刊行 満州事変起こる
昭和 7 1932 2月〜10月、五日市町(現広島市佐伯区)へ転地療養 5・15事件
満州国建国宣言
昭和 8 1933 1月〜7月、再び五日市町へ転地療養
12月25日、尾道市へ転地療養
国際連盟脱退
巌谷小波・没
昭和 9 1934 5月5日、尾道市にて死去
10月、遺歌集『軽雷集以後』が刊行される
直木三十五・没
宮沢賢治・没
文学碑



文学碑
(広島県尾道市・中村憲吉旧居)





(平成18年3月21日)

中村憲吉

千光寺に夜もすがらなる時の鐘
耳にまぢかく寝ねがてにける

広島県三次市(旧布野村)の人、アララギ派の歌人で、その作風は近代歌人中特異な存在であった。
後年、病魔におかされ、千光寺山の中腹で病を養っていたが、昭和9年、46才で他界した。

(説明板より)




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