中野磐雄像 平成20年10月5日

中野磐雄 なかの・いわお

大正14年(1925年)1月1日〜昭和19年(1944年)10月25日

福島県南相馬市原町区・夜の森公園でお会いしました。


略歴

大正14年1月1日、「相馬野馬追祭」で有名な福島県相馬郡原町南新田字町57番地、(原町市本町3丁目)、金物商を営む、父中野松太郎、母ヒデヨの9人の子の末子として生まれた。
昭和6年4月、原町尋常高等小学校(原町市立原町第1小学校)入学
昭和12年3月、同校初等科卒業
昭和12年4月、県立相馬中学校(福島県立相馬高等学校)入学
昭和17年3月、同校卒業
昭和17年4月、甲種飛行予科練習生(第10期)として土浦海軍航空隊に入隊
昭和17年10月1日、海軍一等飛行兵
昭和17年、三重海軍航空隊
昭和18年6月、三沢海軍航空隊
不詳、第265狼戦闘機隊配属
昭和19年、グアム島転戦
昭和19年10月、201空に編入
昭和19年10月25日、フィリピン、マバラカット基地発進、第1神風特別攻撃隊敷島隊員として海軍一等飛行兵曹で散華した。
ときに19歳。
二階級特進、海軍飛行兵曹長
後、特進、海軍少尉
第32回戦没者叙勲、正八位勲六等旭日章

(参考:神風特攻敷島隊五軍神奉賛会発行『神風特別攻撃隊第一号 敷島五軍神の志るべ』)


中野磐雄の像



第一神風特別攻撃隊敷島隊
海軍少尉 中野磐雄之像
(福島県南相馬市原町区・夜の森公園)




(平成20年10月5日)

碑文

中野少尉名ハ磐雄
大正14年原町ニ生マル
父ハ松太郎母ハヒデヨ
昭和17年報國ノ志ヲ立テゝ土浦海軍航空隊ニ入ル
ヤガテ戦況逆転シ國運ノ危殆ニ瀕スルヲ見慨然身ヲ挺シテ之ヲ挽回セントシ率先神風特別攻撃隊敷島隊ニ加ハリレイテ島沖ニ敵艦ヲ急襲シ身ヲ以テ弾丸トシテ壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタリ
時ニ昭和19年10月25日未明
享年19歳
二階級特進海軍少尉ニ任ジソノ戦功ヲ表彰セラレタリ小中学同級ノ友人追慕ノ情ニ堪ヘズ相謀リテ記念碑ヲ建テ永ク忠烈ヲ傳ヘントス

文学博士 平泉澄撰

夜の森公園



夜の森公園
(福島県南相馬市原町区三島町1−67)





(平成20年10月5日)

フィリピン・ルソン島
201空本部跡


201空本部跡
(フィリピン・ルソン島マバラカット)

関行男大尉が体当たり「特攻」を決断した本部兼士官宿舎。
現在は当時の2階建ての建物は取り壊され建て直されています。



(平成16年5月7日訪問)
マバラカット西飛行場記念碑



マバラカット西飛行場記念碑


『第二次世界大戦に於て日本神風特別攻撃隊が最初に飛び立った飛行場』



(平成16年5月7日訪問)
飛行場跡の小高い丘




マバラカット西飛行場跡






(平成16年5月7日訪問)
マバラカット西飛行場跡




マバラカット西飛行場跡






(平成16年5月7日訪問)
神風平和記念廟



神風東飛行場平和記念碑
(フィリピン・ルソン島マバラカット)





(平成16年5月7日訪問)
解説文の碑



神風東飛行場平和記念碑
(フィリピン・ルソン島マバラカット)





(平成16年5月7日訪問)
神風東飛行場平和記念碑
本場所は、第二次世界大戦中、日本最初の神風特別攻撃隊が飛び立ったマバラカット東飛行場の跡である。
1944年10月20日、神風特別攻撃隊は海軍中将大西瀧治郎により此処ルソン島パンパンガ州マバラカットに於いて創設された。
同攻撃隊の最初の志願隊員は、当時マバラカットに駐留していた日本帝国海軍第一航空艦隊・201航空隊に所属する玉井浅一中佐麾下の23名のパイロット達であり、敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊の4隊に分けられ、関行男大尉が全体の隊長に任命された。
1944年10月25日朝7時25分、関行男大尉は中野盤雄一飛曹、谷暢夫一飛曹、永峰肇飛長及び大黒繁男上飛の敷島隊を率いてこの東飛行場から飛び立った。
同日午前10時45分、レイテ島沖の米機動部隊に対し同敷島隊は攻撃を開始、関機が先ず最初に米空母セント・ローに体当たりした。
同艦は炎上、20分後に沈没した。
他の隊員も全員体当たりを果たし、米空母カリニン・ベイ、キトカン・ベイ、サンガモン、サンティー、スワニー及びホワイト・プレーを大破あるいは中破させ、米軍に多大な損害を与えた。
成功裡に終わったこの最初の神風特別攻撃は、当時敷島隊を空から掩護・誘導した西澤広義飛曹長ー103名の米軍撃墜死が確認されている、日本の撃墜王と言われた名パイロットによって目撃・報告されている。
戦後、多くの戦争歴史研究者が関行男大尉を世界最初の人間爆弾であったと公に認めている。
(注記)
マバラカット観光局(MTO)が神風平和記念廟の建立を推進した理由は、神風特別攻撃隊の栄光を称賛する為ではなく、その歴史的事実を通じて世界の民族に平和と友好の尊さを訴える為である。
神風平和記念廟が神風特別攻撃隊のような不幸な出来事を二度と繰り返さないと誓う場所となることを祈念する。
マバラカット観光局長
ガイ”インドラ”ヒルベロ
マバラカット東飛行場跡




マバラカット東飛行場跡






(平成16年5月7日訪問)

永峰肇祀碑


五軍神祀碑(手前)

神風特攻敷島隊
2番機 海軍少尉 中野磐雄命碑
福島県原町市出身 行年19才



(平成19年11月11日)
楢本神社




楢本神社






(平成19年11月11日)

楢本神社のしるべ

一.鎮座地 西条市大町1,138番地
一.御祭神 大国魂神外三柱
一.祭日
春 4月7日 秋 10月15日
特攻の先陣神風特別攻撃隊敷島隊 追悼式典 10月25日
一.由緒と沿革
西条の名の発祥地、西条荘守護神として奈良朝以前創祀されたが詳細は天正の陣の兵火にかかり社殿と共に焼失し、つまびらかならず。
一.産子うぶこと崇敬者
産子 大町郷3500戸
崇敬者 北海道より沖縄までの全国各地に散在す。
一.社宝
神宝貝正則作 短刀一振
神宝蝮封じ石 二個
一.境内坪数 500余坪

境内主要建造物
一.関行男慰霊碑
大東亜戦争末期世界最初の公式の人間爆弾となりし神風特別攻撃隊敷島隊々長関行男中佐の慰霊碑を建立し昭和50年3月21日元航空幕僚長源田実参議院議員により除幕。
一.真鍋嘉一郎誕生の家
東大医学部に物理療法学の講座を開設し初代教授となった奇代の大英才、真鍋嘉一郎の生家を昭和53年8月に復元して記念館とす。
一.大東亜戦争特攻記念館
全国各地の同志の奉賛を得て昭和54年10月25日に建設を終り開館す。
一.神風特攻第一號敷島隊 五軍神祀碑建立
第1番機 海軍中佐      関行男   愛媛県西条市出身 行年23才
第2番機 海軍少尉      中野磐雄 福島県原町市出身 行年19才
第3番機 海軍少尉      谷暢夫   京都府舞鶴市出身 行年20才
第4番機 海軍飛行兵曹長 永峰肇   宮崎県宮崎市出身 行年19才
第5番機 海軍飛行兵曹長 大黒繁男 愛媛県新居浜市出身 行年20才
昭和56年10月25日全国の有志諸賢奉賛により五軍神達が各々搭乗の零戦に抱いて敵艦に突入の250キロ爆弾と同型の祀碑を戦闘隊形に建立し、19才、20才と云う若者達が国家の悠久繁栄を信じ大和民族の純血を守らんとせし心情を偲ぶ囚よすがとせり。

日本が世界に誇る神風の
   祀碑竝び建つ四国西条


(説明板より)

神風特攻記念館



神風特攻記念館
(愛媛県西条市・楢本神社境内)





(平成19年11月11日)

第1神風特別攻撃隊(第1航空艦隊編成・爆装戦闘機主体)

隊名 階級 氏名 出身県 出身 戦死場所 戦死日
敷島隊
(零戦5機)
マバラカットから出撃




(直掩零戦1機)
大尉 関 行男 愛媛 海兵70期 タクロバン
85度35浬
19年10月25日
一飛曹 中野磐雄 福島 甲飛10期
一飛曹 谷 暢夫 京都 甲飛10期
飛長 永峰 肇 宮崎 丙飛15期
上飛 大黒繁男 愛媛 丙飛17期
飛長 管川 操(直掩) 福岡 丙飛15期
大和隊
(零戦10機)
セブから出撃









(直掩零戦2機)



(誘導彗星艦爆1機)
中尉 久納好孚 愛知 法政大学 セブ90度185浬 19年10月21日
上飛曹 佐藤 馨 香川 丙飛4期 スルアン沖 19年10月23日
一飛曹 大坪一男 香川 甲飛10期 バタブ
130度70浬
19年10月25日
飛長 荒木外義 富山 丙飛15期
少尉 植村眞久 東京 立教大学 スリガオ海峡東方
80浬
19年10月26日
一飛曹 勝又富作 静岡 甲飛10期
一飛曹 塩田 寛 栃木 甲飛10期
二飛曹 五十嵐春雄 北海道 丙飛12期
飛長 勝浦茂夫 香川 丙飛15期
一飛曹 移川晋一(直掩) 宮城 甲飛10期
二飛曹 日村助一(直掩) 広島 丙飛10期
一飛曹 松村 茂 熊本 甲飛10期 スリガオ87度20浬 19年10月27日
少尉 国原千里(誘導) 山口 乙飛5期 バタブ130度70浬 19年10月25日
飛曹長 大西春雄(誘導) 香川 甲飛3期
朝日隊
(零戦1機)
ダバオから出撃
一飛曹 上野敬一 山口 甲飛10期 MDA28度237浬
山桜隊
(零戦2機)
ダバオから出撃
一飛曹 宮原田 賢 広島 甲飛10期 MDA25度285浬
一飛曹 滝沢光雄 長崎 甲飛10期
菊水隊
(零戦2機)
ダバオから出撃
一飛曹 加藤豊文 徳島 甲飛10期 スリガオ海峡東方
40浬
一飛曹 宮川 正 高知 甲飛10期
若桜隊
(零戦1機)
セブから出撃
一飛曹 中瀬清久 宮城 甲飛10期 ダバオ130度70浬
初桜隊
(零戦3機)
ニコルス第1から出撃
一飛曹 野並 哲 高知 甲飛10期 マニラ74度180浬 19年10月29日
一飛曹 藤本 寿 東京 甲飛10期
飛長 吉盛政利 宮崎 丙飛17期
葉桜隊
(零戦6機)
セブから出撃


(直掩零戦2機)


上飛曹 新井康平 石川 甲飛9期 スルアン島
150度40浬
19年10月30日
一飛曹 崎田 清 熊本 甲飛10期
一飛曹 山下憲行 福岡 甲飛10期
一飛曹 山沢貞勝 山口 甲飛10期
一飛曹 広田幸宣(直掩) 新潟 甲飛10期
一飛曹 大川善雄(直掩) 東京 乙飛16期
一飛曹 鈴木鐘一 岐阜 丙飛15期
一飛曹 桜森文雄 宮崎 丙飛16期
彗星隊
(彗星艦爆1機)
マバラカットから出撃
上飛曹 浅尾 弘 広島 乙飛13期 レイテ湾 19年10月25日
二飛曹 須内則男 高知 丙飛10期

(参考:特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編『特攻攻撃隊全史』)

10月21日、一航艦に所属する最初の海軍特攻機が進発。
多くの特攻機は天候不良のため引き返していたが、この日「大和隊」の爆装「零戦」1機がセブ島の90度185浬において空しく散華していた。
この日、アメリカ軍艦隊の特攻機による損害は記録されていないものの、レイテ方面において、オーストラリア海軍の重巡「オーストラリア」が特攻機によって損傷を受けていた。
オーストラリア海軍の史料によると、同艦は連合軍の中で最初に特攻機の体当りを食らっていた艦艇であったと記録されているが、この特攻機が久納好孚中尉の搭乗機であったかどうかは、時間的な不整合性と機種(オーストラリア海軍の史料では、この「特攻機」は九九艦爆とあり、久納中尉機は零戦である)から特定できない。
ともあれ、戦果は別にして、久納中尉こそが特攻第一号となっていたのである。

この同じ日、関行男大尉率いる第1神風特攻隊が出撃していたが、悪天候のために敵機動部隊を発見することが出来ず、1機を除いて全機が基地に帰投していた。

10月23日、海軍特攻「大和隊」の爆装「零戦」1機がスルアン沖において、戦果を見ず空しく散華していた。

10月25日、海軍特攻「敷島隊」の爆装「零戦」5機、直掩「零戦」1機がタクロバンの85度35浬の地点、「大和隊」の爆装「零戦」2機及び直掩「彗星」1機がバダブの130度70浬の地点、「朝日隊」の爆装「零戦」1機がMDAの28度237浬の地点、「山桜隊」の爆装「零戦」2機がMDAの25度285浬、「菊水隊」の爆装「零戦」2機がスリガオ海峡東方40浬の地点、「若桜隊」の爆装「零戦」1機がダバオの130度70浬の地点、「彗星隊」の「彗星」1機がレイテ湾に出撃して散華していた。
アメリカ側の史料によれば、アメリカ第7艦隊の護衛空母「サンティ」に1機命中、さらに同艦には「伊56潜」の魚雷1本が命中、同「スワニー」に1機命中、同「サンガモン」に1機至近弾、同「ペトロフ・ベイ」に1機至近弾、同「セント・ロー」に1機命中(沈没地点。北緯11度10分、東経126度5分)、同「カリニン・ベイ」に2機命中、同「ホワイト・ブレーンズ」に1機至近弾、同「キトカン・ベイ」に1機命中等の損害を与えていた他、護衛駆逐艦「リチャード・M・ローウェル」が銃撃によって損傷を被っていた。
この日、敵艦隊に突入し戦果を挙げていたのは、「菊水隊」の爆装「零戦」2機、「敷島隊」の爆装「零戦」5機、直掩「零戦」1機であった。

10月26日、海軍特攻「大和隊」の爆装及び直掩「零戦」7機がスリガオ東方洋上に出撃して散華していた。
この日、護衛空母「スワニー」に1機が命中、爆弾1発が命中。
戦果をあげていたのは「大和隊」のいずれかであった。
10月27日、海軍特攻「大和隊」の爆装「零戦」1機がスリガオの87度20浬地点に出撃して散華。
この日から二航艦も特攻攻撃に参加しており、「忠勇隊」の「彗星」3機、「義烈隊」の「彗星」2機、「純忠隊」の「九九艦爆」1機、「誠忠隊」の「九九艦爆」3機がレイテ湾に出撃し、「忠勇隊」と「誠忠隊」が戦果を報じていた。
10月29日、海軍特攻「初桜隊」の爆装「零戦」3機、「忠勇隊」の「彗星」1機、「義烈隊」の「彗星」1機がマニラの74度180浬地点、「至誠隊」の「九九艦爆」2機、「零戦隊」の「零戦」2機がマニラの80度200浬地点、「神武隊」の「九九艦爆」3機、「神兵隊」の「九九艦爆」3機、「零戦隊」の「零戦」1機がマニラの74度180浬の地点に出撃し散華、「忠勇隊」の「彗星」のみが正規空母「イントレピッド」に命中、戦果を挙げていた。
10月30日、海軍特攻「葉桜隊」の爆装及び直掩「零戦」8機がスルアン島180度40浬の地点に出撃して散華。
正規空母「フランクリン」、軽空母「ベロー・ウッド」にそれぞれ1機命中、同「サン・ジャシント」に1機至近弾の戦果を挙げた。

(参考:森本忠夫著『特攻〜外道の統率と人間の条件〜』)




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