中天游 なかてんゆう

天明3年(1783年)〜天保6年3月26日(1835年4月23日)


名は環。
文化2年(1805年)江戸で大槻玄沢げんたくに蘭学を、古賀精里せいりに儒学を学び、文化6年(1809年)京都の海上うながみ随鴎(稲村三伯)の塾に入門し蘭学を修めた。
文化14年(1817年)大阪で開業したが医業は妻に任せ、思々斎塾を開き子弟教育に専念し、緒方洪庵らに蘭学を教授した。


中天游邸跡



中天游邸跡

(大阪市西区京町堀2丁目・江戸堀中公園)





(平成20年6月18日)

中天游邸跡

中天游なかてんゆうは江戸時代に大阪で活躍した医師・蘭学者です。
天游は別名で、本名は環たまきといい、耕助、融とも名のりました。
天明3年(1783)に丹後に生まれ、文化2年(1805)に江戸に出て、大槻玄沢おおつきげんたく・稲村三伯いなむらさんぱくに蘭学を学び、文化6年には京都で、海上随鴎うなかみずいおうの塾に入って蘭学を学びました。
大阪にやってきたのは文化14年ごろで、はじめは靱本町、次に江戸堀で開業しました。
その後、当時は坂本町と呼ばれたこのあたりに移り、天保6年(1835)に亡くなるまで住んでいました。
著述や翻訳も多く、中でも『視学一歩』という本は、眼のしくみについて書いた日本で最初のものです。
医者の仕事は妻のさだにまかせ、天游は思々斎塾ししさいじゅくという学塾を開き、いろいろな学問をひろめました。
弟子の中には、幕末に活躍した有名な医師の緒方洪庵おがたこうあんがいます。

大阪市教育委員会

(説明板より)

中天游邸跡



中天游邸跡

(大阪市西区京町堀2丁目・江戸堀中公園)





(平成20年6月18日)

【中天游】

天游は文化14年(1817年)靭うつぼ(西区)ではじめて開業し、のち江戸堀5丁目(西区)に移り、さらに坂本町(西区)に移った。
彼の塾は思々斎塾といい、医業は妻(師である海上随?うなかみ・ずいおうの娘)にまかせて、ほとんど子弟の教育に没頭した。
医学より理学方面に深い興味を持ち、志筑忠雄しづき・ただおの『暦象新書』をテキストとして講義し、またわが国最初の幾何光学的な専門書『視学一歩』や天文学・数学について記した『天学一歩』『算学一歩』を著し、またケイルの引力論を翻訳した『引律』をつくった。
この天游から緒方洪庵は医学・理学・オランダ語の手ほどきを受けることになる。

(参考:梅渓 昇 著 『緒方洪庵と適塾』 2008年初版第4刷 大阪大学出版会 発行)

(平成27年10月24日 追記)




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