中山修一像 平成20年4月14日

中山修一 なかやま・しゅういち

大正4年(1915年)7月19日〜平成9年(1997年)4月30日

京都府長岡京市・中山修一記念館でお会いしました。


長岡京市生まれ。
周辺地域の教員として教鞭をとるかたわら、私費で長岡京の発掘を手がけ、「幻の都」といわれていた長岡京の実在を明らかにされた。
また、郷土史の解明や遺跡保護にも精力的に取り組み、長岡京市文化財保護審議会長など多くの審議会委員を歴任し、まちづくりにも参画された。
京都文教短期大学名誉教授。
吉川英治文化賞、京都府文化賞特別功労賞などを数多く受賞。


中山修一先生の像



中山修一先生之像

(京都府長岡京市・中山修一記念館)





(平成20年4月14日)

中山修一先生は、長岡京の発掘で「幻の都」を歴史上「実在した都」であると世に広く知らせる偉大な功績を残されました。
私たちは、先生のご功績とご人徳を後世に語り伝えるため、ご親交の深かった皆様方から資金を募りこの胸像を建立したものです。

中山修一先生をたたえ胸像を作る会
制作者 小泉武寛
題字   坪内正一
平成14年9月1日

(銘板碑文より)

長岡京への挑戦

先生が長岡京を研究するきっかけは、『乙訓郡史』の執筆依頼であった。
長岡京は平安京と同様に碁盤の目のように区画されていたことを確信していた先生は、昭和29年に長岡京の発掘調査に初めて着手し、翌年に会昌門跡(朝堂院中門)を発見。
それまで「幻の都」として文献上の存在だった長岡京が実在したことを証明した。
以後、小安殿、大極殿跡など重要な遺構を次々と発掘し、長岡京中枢部の全容を明らかにした。
昭和59年には長岡京遷都1200年記念事業が市民参加で盛大に取り組まれた。
長岡京は実在した都として全国に広く知られ、教科書にも記述されるようになった。

日本のシュリーマン

ドイツの考古学者シュリーマン(1822〜1890)は、ギリシャ神話にあるホメロスの叙事詩を信じ、私費を投じて発掘調査を行い、幻のトロイ文明が実在したことを証明するという大きな功績を残した。
先生はこのシュリーマンに大きな影響を受けてきた。
長岡京研究を始めていた頃の先生は、高校の授業でたびたびシュリーマンの話をした。
先生と彼が渾然一体となっているかと思うほど印象深かったという。

シュリーマンにとってトロイは一つの研究対象に過ぎなかったが、先生にとって長岡京は生まれ育った地元での遺跡解明であった。
発掘調査に対する地元での複雑な利害関係がある中で、地元や行政との折衝を行いながら、発掘することは並大抵ではなく、数多くの人々に助けられ、幾多の困難を乗り越えてきた。
そうして長岡京は姿をあらわし、地域の遺跡から日本を代表する遺跡となり、いまや日本の都を研究する上で欠くことのできない遺跡となっている。

郷土史の解明と遺跡保存の運動

先生は長岡京の発掘調査を契機に、乙訓地域の名所や旧跡をはじめとする地域の歴史をまとめ、研究書をはじめとして数多くの著書や論文を著した。
公民館や地域主催の講演会にも気軽に出向き、多くの中山ファンが集まった。

また、長岡京跡をはじめとする遺跡の保護運動にも熱心だった人である。
昭和39年に長岡京で初めて大極殿跡が国の史跡となり、一連の遺跡保存の礎となった。
その後、宅地開発が急激に進む中で、乙訓地域の多くの遺跡保存のため、行政に異議を唱えながら保護の重要性を訴え続けた。

未来へのメッセージ

教師という職業の傍ら、自らの興味で40年間も長岡京にかかわり、長岡京は「中山京」「中山狂」といわれるようになった。
晩年に先生は、次のメッセージを残している(京都新聞連載の「たどり来し道」平成7年)

@今も地下に眠る遺構 保存と活用を
発掘された長岡京全体では見ればごくわずかで、この保存面積は僕としては不満である。
長岡京は、平城京、平安京とともに三大古都の一つだ。
また、元稲荷、五塚原、恵解山古墳など全国に聞こえた古墳も残っている。
A史跡公園として保存 調和の取れた都市に
都があったということは大きい。
それが動機で子どもたちが歴史を好きになったり、人生を考えたり、郷土を愛する心が芽生えたりもする。
B長岡京のことを網羅した『長岡京集成』の刊行を
(中山先生はこれを最後の仕事としてもう一頑張りしたいと願っていた)

(展示パネルより)

中山修一ものがたり
大正 4年 7月19日 0歳 当地にて、中山長作(後の新神足村村長)ふしの長男として誕生
昭和 3年 3月 12歳 神足尋常小学校を卒業する
昭和 8年 8月 17歳 京都府立桃山中学校を卒業
昭和10年 3月 19歳 京都府師範学校本科第二部を卒業する
4月1日 向陽小学校訓導となると同時に短期現役兵として入隊する。
8月31日 20歳 陸軍歩兵伍長に任ぜられ、同日除隊
国民軍士官勤務適任証書を受領する
昭和14年 4月 23歳 京都府師範学校専攻科に入学する
昭和15年 4月 24歳 長法寺小学校訓導となる
4月5日 斉藤寿郎(乙訓郡大原野神社宮司)・孝子の長女志伝と結婚
昭和17年 3月18日 26歳 『乙訓村 海印寺村 郷土史の研究』を著す
早良親王幽閉事件を書き、不敬罪として警察の取調べを受ける
昭和19年 4月 28歳 中等教員試験検定日本史東洋史に合格
京都府立伏見中学校兼桃山中学校教諭
昭和21年 5月 30歳 京都帝国大学文学部史学科入学
在学中平安女学院講師となる
新神足村開田小字下ノ町15に転居する
この付近の水田の区画が、条里の地割でなく、条坊地割であることに気づく
昭和24年 4月 33歳 京都大学文学部大学院に進学する
9月 34歳 京都女子中学・高校教諭となる
昭和26年 4月 35歳 京都市立西京高校教諭となる
昭和28年 37歳 京都大学地理学教室の吉田敬一助手から『乙訓郡史』の執筆を依頼され、
長岡京の研究に没頭する
38歳 長岡京復原のきっかけとなった蓮池の存在に気づく
昭和29年 12月30日 39歳 長岡京の発掘調査にはじめて着手
翌年早々に朝堂院中門にあたる会昌門跡を発見
昭和30年 3月27日 長岡宮会昌門発見の報道が行なわれ、大きな反響を呼ぶ
昭和33年 12月15日 42歳 京都市教育委員会指導主事として出向する
昭和34年   45歳 長岡宮大極殿跡・小安殿を発掘する
昭和40年 4月 49歳 長岡京の発掘調査に従事するため、京都市立西京商業高校定時制教諭
となる
11月5日 50歳 京都府教育委員会から文化財功労者表彰を受ける
昭和41年 2月13日 小林清等と「乙訓の文化遺産を守る会」を結成し、副会長に就任する
昭和43年 7月25日 53歳 福山敏男・高橋徹・浪貝毅等と『長岡京発掘』(NHKブックス)を著す
昭和45年 11月5日 55歳 文化庁長官から永年文化財に力を注いだ功績により、表彰を受ける
昭和47年 10月1日 57歳 京都家政短期大学助教授となる
11月11日 京都市教育委員会から京都市教育功労者表彰を受ける
昭和50年 4月1日 59歳 京都家政短期大学教授となる
10月13日 60歳 長岡京市文化財保護審議会会長となる
昭和51年 3月 長岡宮跡発掘調査団(のちに長岡京跡発掘調査研究所と改称)を再結成し、
団長となる
昭和53年 10月18日 63歳 『長岡京内と外』を著す
昭和56年 11月7日 66歳 多年にわたる長岡京跡の究明に功績があったとして、京都府教育功労者
表彰を受ける
昭和57年 4月12日 吉川英治文化賞を受ける
昭和58年 11月30日 68歳 京都新聞文化賞を受ける
昭和59年 10月1日 69歳 福山敏男・高橋徹等と『新版長岡京発掘』(NHKブックス)を著す
11月1日 『遷都1200年 長岡京』(京都新聞社)を著す
11月11日 長岡京遷都1200年を迎え、長岡京遷都1200年記念実行委員会から、
長岡京の発掘・調査研究・遺跡保存などに大きな功績を残したとして、
記念表彰を受ける
11月20日 『よみがえる長岡京』(朝日カルチャーブックス)を編す
昭和62年 4月1日 71歳 京都文教短期大学名誉教授となる
11月3日 72歳 勲五等雙光旭日章を授与される
平成 3年 3月22日 75歳 長岡京市第1回文化功労賞を受ける
平成 8年 2月8日 80歳 京都府文化賞特別功労賞を受ける
4月19日 「長岡京について」と題して最後の講演をする
平成 9年 4月30日 81歳 午前7時10分自宅にて心不全のため死亡する
5月2日   自宅にて告別式
戒名「無学院精空修徳居士」

(展示パネルより)

長岡京条坊復元図 長岡京条坊復元図

長岡京条坊復元図

中山先生が昭和30年代に作られたものとみられ、長岡京を実在したことを広く知らせるため、講演会などでよく使われた。
図には、長岡京復元のきっかけとなった蓮池はすいけや大極殿だいごくでんなどの位置が書かれている。

(説明板より)

中山修一先生 中山修一先生

中山修一記念館内部

訪問記

平成20年4月14日に訪問いたしました。
記念館にはボランティアガイドの方が説明してくださいます。
展示物はあまりないので、この「説明」がメインの記念館ですので、訪問する時は少し時間に余裕を持っておいたほうがいいと思います。
当日は、ちょうどお昼だったにもかかわらず、担当者の方に事細かにご説明をいただきました。
お世話になりました。ありがとうございました。

中山修一記念館



長岡京市立 中山修一記念館
(京都府長岡京市久貝3−3−3)





(平成20年4月14日)

開館:午前10時〜午後4時
休館日:火曜日、年末年始(12/28〜1/4)


 (関連商品のご紹介)



 トップページに戻る   銅像のリストに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送