平成18年3月11日
明治38年(1905年)11月15日(3日の説あり)〜平成12年(2000年)9月25日
東京都文京区小石川2丁目・日本指圧専門学校でお会いしました。
創立者 浪越徳治郎先生 (日本指圧専門学校) (平成18年3月11日) |
学校法人 浪越学園理事長 日本指圧専門学校校長浪越徳治郎先生は明治38年(1905年)11月3日香川県多度津に生まれ 7歳の時一家と共に北海道に移住
母堂がリューマチスを患い その看護に当たり指圧のヒントを得て 修業を積み 遂に 浪越式指圧療法を創案す
大正14年9月 室蘭市で指圧治療院を開業 その後札幌に進出
昭和8年3月「指圧を天下に広めよう!」と大望を抱き北海道から上京
昭和15年(紀元2600年)2月11日(紀元節)小石川伝通院前のこの地に 宿願の日本指圧学校を設立
幾多の師弟を養成し 指圧は今や世界の指圧に発展したのである
本年は開校50周年の記念に当たり 同窓会が中心となり 恩師浪越徳治郎先生の偉大なる業績を称え その人徳を後世に伝えんとてこの半身像を建立した次第である
平成2年2月11日
日本指圧専門学校同窓会
創立50周年記念事業実行委員会
(説明銘板より)
学校法人 浪越学園 日本指圧専門学校 (東京都文京区小石川2−15−6) (平成18年3月11日) |
物故指聖供養塔と指塚 (伝通院) (平成18年3月11日) |
銘
指もてもろもろの病を癒し人びとに慶びと救いを与え先に逝かれし指聖の御名をとどめその御霊に後継ぎし者等の誠を捧げその功徳を永■に讃えんとてこの塚を建つ
昭和45年9月23日
日本指圧協会
会長 浪越徳治郎
外 同志一同
(『指塚』の碑文より)
※ ■は判読不明文字です。
浄土宗 無量山伝通院むりょうざんでんつういん (東京都文京区小石川3−14−6) (平成18年3月11日) |
傅通院のあゆみ
当山は今から約600年程前の応永22年(1415)浄土宗第七祖誉聖冏上人が開山したお寺。
当時は小石川極楽水の小さな草庵で無量山寿経寺という名で開創された。
それから二百年後慶長7年(1602)8月29日、家康公の生母お大の方が逝去され、この寿経寺を菩提寺と定めた。
お大の方の法名「傅通院殿」から「傅通院」と呼ばれるようになり、徳川家の庇護のもと、大伽藍が整えられた。
また、当山は関東十八檀林の一つとして学僧の修業勉学の場となり僧侶養成の重責を担っていた。
更に明治以後には淑徳女学校を設立。
広く社会に向けて女子教育にも力を注いでいる。
しかし、このような歴史の中にも、享保6年(1721)・同10年(1725)・明治43年(1910)の三度の大火にあい、更には第二次世界大戦では境内建物、宝物等全て灰燼に帰してしまった。
戦後は復興にはげみ、昭和63年(1988)新世紀の宗教活動に対応できる新本堂を建立。
平成9年(1997)繊月会館を建立。
平成11年(1999)には観音堂(休憩所)を建立し現在に至っている。
(説明板より)
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