平成21年11月4日

南部師行 なんぶ・もろゆき

?〜延元3年/建武5年5月22日(1338年6月10日)

青森県八戸市・八戸博物館でお会いしました。


元弘3年(1333年)北畠顕家に従って陸奥に下り、糠部ぬかのぶ郡など三郡の管轄権を得て、根城ねじょう(現:青森県八戸市)に拠った。
建武2年(1335年)顕家の西上には従わず、陸奥で足利方の津軽曾我氏・安藤氏などと戦う。
建武4年/延元2年(1337年)顕家の二度目の西上に従って畿内で幕府軍と戦ったが、翌年、和泉国石津(現:大阪府堺市)で顕家と共に戦死した。


南部師行公像



南部師行公像

(青森県八戸市・八戸市博物館)





(平成21年11月4日)

南部師行公

元弘3年(1333)、後醍醐天皇は、奥州を治めるため北畠顕家(あきいえ)を陸奥守に任じました。
顕家は、天皇の第8皇子義良(のりよし)親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国府に赴任しましたが、このとき甲州(山梨県身延町)出身の南部師行(もろゆき)等もこれに従い陸奥に向かいました。
建武元年(1334)、師行は広大な陸奥国の北半を治めるため根城を築き、国司の代官として南朝方の中心的な存在となって活躍しました。
しかし、延元3年(1338)5月22日、師行は、北朝方の足利軍との戦いに破れ、泉州堺浦(大阪府堺市石津)で主君の北畠顕家と共に討ち死にし、二度と八戸の地を踏むことはありませんでした。
その後、師行の子孫達は、寛永4年(1627)に遠野に移るまでの約300年間にわたりこの地に住み続け、八戸発展の基礎を築きました。
21世紀初めの記念すべき年に、根城南部氏の歴史を振り返り、このまちがさらに発展していくことを願って、南部師行公の銅像を建立します。
なお、建立にあたって、根城史跡保存会(会長 正部家種康氏)を始め多くの方々から協力を賜ったことを記します。

2001年7月吉日
八戸市長 中里信男

(銅像銘板より)

家紋 家紋
八戸市博物館



八戸市博物館
(青森県八戸市大字根城字東構35−1)





(平成21年11月4日)



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