習志野騎兵旅団

(騎兵第1旅団・騎兵第2旅団)


習志野騎兵旅団司令部跡



習志野騎兵旅団司令部跡
(千葉県習志野市大久保4丁目・八幡神社)





(平成18年8月31日)

騎兵連隊・旅団司令部跡

明治初頭より旧陸軍の演習が行われていた小金原こがねはらは、同6年(1873年)明治天皇行幸ぎょうこうの際に、「習志野原」と命名されてから、周辺に軍隊が急速に創設され、それにともない拡張されてきました。
明治32年、日本陸軍初の快速兵団として騎兵連隊が習志野原に創設され、同34年には大久保に転営して、現在の東邦、日本大学付近に第13・第14連隊からなる第1旅団と、東邦中学・高校付近に第15・第16連隊からなる第2旅団がおかれました。
さらに、八幡公園・習志野郵便局の地に旅団司令部がおかれました。
日露戦争(明治37〜38年)の折には、両旅団が派遣されましたが、満州事変(昭和6年)・支那事変(同12年)には第1旅団が派遣されました。
この頃より軍隊の機械化がすすみ、騎兵連隊は装甲そうこう部隊に再編制されていきました。
第2次世界大戦後、連隊跡は学校に、旅団司令部本部の建物は郵便局になり、八幡公園にあった司令部の講堂には、私立大久保保育園が開設されました。
この保育園は、昭和24年(1949年)津田沼町に移管されて、本市第1号の公立保育所となり、昭和40年、泉町3丁目に移転しました。

昭和56年12月
習志野市教育委員会

(説明板より)

騎兵連隊・旅団司令部全景 (説明板より)

軍馬之碑 軍馬忠魂塔
軍馬之碑 軍馬忠魂塔
騎兵第1旅団司令部跡の碑



『騎兵第1旅團司令部跡』碑

(八幡公園)





(平成18年8月31日)





『習志野騎兵旅団発祥の地』碑

(八幡公園)

昭和51年4月建之





(平成18年8月31日)

碑誌

騎兵第1 第2旅団は 明治34年12月この地に創設せられ 日本陸軍最初の快速兵団として発祥した
第1旅団に属する第13 第14聯隊 第2旅団に属する第15 第16聯隊は堂々と甍を連ね 大久保の地は一転して一大衛戍地となった
この地習志野の名は 明治6年 明治天皇行幸して親しく軍隊の調練を天覧せられし際 将来に亙り軍が操練に励むべき地として特に命名せられたるもの
いま騎兵旅団の設置を見るに及び 正にその聖旨に副い名実相伴うに至ったのである
明治37 8年日露戰争に當り 両旅団は共に満州に出征 よく機動性を発揮し 果敢善戰赫々たる戰績を収めて凱旋した
尓来約3千の将兵は人馬一体となり 日夜習志野原頭を馳駆して練武を重ね 輝く騎兵精神を培った
一面の草原は生気に満ち 聯隊旅団を挙げての乗馬襲撃など正に壮観そのものであった
かくて習志野騎兵旅団は陸軍の華と謳われ 地域住民の親愛と協力の下に 軍民一致輝かしい一時代を経過した
満州事変の勃発するや 昭和7年第1旅団はこれに出動して各地に転戰し 引き続きそのまま満州ハイラルに駐屯  さらに支那事変に活躍して偉功を樹てた
この間第2旅団は終始この地に衛戍して訓練を続け また各種部隊の編成補充に任じた
時代の変遷に伴い騎兵部隊は逐次機械化の途を辿るに至り 第2旅団は昭和16年 第1旅団は同17年それぞれ戰車部隊に改編せられ ここに騎兵旅団の歴史は終りを告げたのである
発祥以来この地で訓練された壮丁は関東全域及び山梨長野両県下から選抜せられ その数延数万に及び 軍馬は北海道及び東北地方から補充せられ延1万余頭に達した
この中には幾多の尊い戰歿犠牲となった人馬があることを銘記しなければならない
大東亜戦争後 習志野の地はその様相を一変し 広茫としていた習志野原も周辺の地域と共にその殆どが都市化せられ 旧兵営もその姿を変えるに至ったが この地が騎兵旅団と共に歩んだ40年は 習志野発展史上特に意義深い一時代を画したものというべきである
その由緒を記念するため 関係者有志7百余名の思いをこめてこの碑は建てられた
希くは 習志野の地が永く栄光ある発展を遂げんことをと祈念し ここにその由来を誌す

昭和51年4月
建設委員一同


騎兵第1旅団

騎兵第13連隊
騎兵第14連隊

創立
明治32年習志野の高津廠舎を仮兵舎として発足、明治35年編成完了。

編制の変遷
旅団の編制は旅団司令部と騎兵第13連隊及び騎兵第14連隊で成る。
平時は近衛師団に属し近衛騎兵連隊を隷下に加えられていた。
両騎兵連隊の編制は平時は5中隊、戦時は4中隊。
大正11年、軍備整理により1中隊を減じ、平時4中隊となる。
昭和7年6月、満州事変出動時には旅団機関銃隊(1中隊16銃)、騎砲兵中隊(4門)を加えて戦時編制を整備、さらに別に試験として装甲自動車中隊(装甲車7両、自動貨車若干)を加える。
両連隊は留守隊として各1中隊を内地に残し3中隊編制で出動。
昭和8年、装甲自動車中隊は正式に編制化され旅団自動車隊となる。
同年、騎兵第1旅団、騎兵第4旅団を統合して騎兵集団を編成。
昭和9年、満州常駐部隊となり留守隊は廃止され、これを招致して両連隊は4中隊となる。
昭和10年、旅団の騎砲兵中隊及び装甲自動車中隊は騎兵集団の直轄となる。
昭和11年、編制改正により両騎兵連隊に機関銃中隊が新設される。
昭和13年6月、北支に出動。

昭和13年6月北支出動時の編制
旅団司令部  
騎兵第13連隊 4中隊・機関銃中隊
騎兵第14連隊 4中隊・機関銃中隊
旅団機関銃隊 2中隊(16銃)
旅団砲兵連隊 2中隊(8門)
旅団速射砲中隊 (4門)
旅団戦車中隊 軽装甲車(7両)主体
旅団輜重隊 自動車編成
衛生隊  

昭和14年2月、騎兵集団司令部と共に蒙彊に移る。
同年10月、旅団各隊は自動車編成に改編、更に騎兵第71連隊(自動車編成の4中隊・機関銃中隊)が増加される。
昭和17年10月、旅団解隊。各部隊は戦車第3師団の部隊に改編される。

歴代騎兵第1旅団長(少将)
第1代 渋谷 在明   第12代 柳川 平助  
第2代 秋山 好古 日露戦争 第13代 吉岡 豊輔 満州事変
第3代 本多 道純   第14代 高波 祐治
第4代 河野 政次郎   第15代 中山 蕃
第5代 永沼 秀文   第16代 小川 正輔
第6代 稲垣 三郎   第17代 黒谷 正忠
第7代 田村 守衛   第18代 野沢 北地
第8代 小畑 豊之助   第19代 大賀 茂 支那事変
第9代 宮内 英熊   第20代 片岡 茂 蒙彊
第10代 原田 宗一郎   第21代 森 茂樹
第11代 梅崎 延太郎        

 

騎兵第2旅団

騎兵第15連隊
騎兵第16連隊

創立
明治32年習志野の高津廠舎を仮兵舎として発足、明治35年編成完了。

編制の変革
旅団の編制は旅団司令部と騎兵第15連隊及び騎兵第16連隊より成る。
平時は第1師団に属し、騎兵第1連隊を隷下に加えられていた。
大正11年の軍備整理で両連隊は1中隊を削減され各4中隊となる。
旅団は満州事変にも支那事変にも出動しなかったので、戦時編制による機関銃隊・騎砲兵隊の編入はない。
昭和10年、旅団内に騎砲兵大隊が設置され、昭和11年にはそれが騎砲兵連隊となる。
昭和11年、両連隊に各機関銃中隊が設置される。
昭和16年、騎兵が全面的に機甲兵となるに及び他の旅団に先だって解隊された。

歴代騎兵第2旅団長(少将)
第1代 閑院宮戴仁親王 日露戦争 第12代 高波 祐治
第2代 田村 久井 第13代 原 常成
第3代 杉浦 藤三郎   第14代 蓮沼 蕃
第4代 吉田 平太郎   第15代 笠井 平十郎
第5代 内田 広徳   第16代 山岡 潔
第6代 永山 元彦   第17代 内藤 正一
第7代 岡本 功   第18代 若松 晴司
第8代 三好 一   第19代 高橋 重三
第9代 福田 義彌   第20代 栗林 忠道
第10代 佐藤 栄樹   第21代 賀陽宮恒憲王
第11代 飯島 昌蔵   第22代 藤田 茂

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