仁徳天皇像 平成19年4月14日

仁徳天皇 にんとくてんのう

神功皇后摂政57年(257年)〜仁徳天皇87年1月16日(399年2月7日)

大阪府堺市・大仙公園観光案内所近くでお会いしました。


応神天皇の皇子。
母は皇后仲姫なかつひめ命。
応神は、仁徳の異母弟・菟道稚郎子うじのわきいらつこ皇子を皇太子としたが、応神の死後、太子は仁徳に皇位を譲ろうとした。
仁徳が固辞したため天皇空位となったところ、異母兄の大山守おおやまもり皇子が皇位を狙い兵を挙げた。
これを鎮圧した後も仁徳が固辞したため、太子は自ら命を断って即位を促したという。
難波に高津宮(現・大阪市中央区法円坂町)を営み、葛城襲津彦かづらきのそつひこの娘・磐之媛いわのひめ命を皇后として、履中・反正はんぜい・允恭いんぎょうの三天皇をもうけた。
人民の苦しみを見て3年の間、課役徴収を停止するなど、仁政の王として賞賛されるが、応神の事績と重なることが多く、実在を疑う意見もある。
葬られた百舌鳥耳原中もずのみみはらのなか陵は大阪府堺市大仙町の大仙だいせん古墳にあてられているが、時期的にあわないとする見解がある。


仁徳天皇像

仁徳天皇像
(大阪府堺市・大仙公園)

この石像には解説をするようなものは何もないので、これが仁徳天皇像であるというのは誰もわからないんじゃないかな?
私は観光案内所のボランティアガイドの方とお話して仁徳天皇像であることを確認しましたが・・・


(平成19年4月14日)

仁徳天皇陵



仁徳天皇陵
(大阪府堺市大仙町7−1)





(平成19年4月14日)
仁徳天皇陵の周濠




仁徳天皇陵の周濠






(平成19年4月14日)

仁徳天皇百舌鳥耳原中陵

わが国の前方後円墳として最も大きいのが仁徳天皇陵です。
墳丘の全長は480m、前方部の幅305m、後円部の直径245m、周濠を含めた東西の長さ656m、南北の長さ793m、周囲は2,718m、面積464,124uとなっていて、その大きなことから大仙だいせん陵と呼ばれています。
正式には、百舌鳥耳原中陵もずのみみはらのなかのみささぎと言います。
日本書紀によると、仁徳天皇67年の冬10月5日に、河内の石津原(堺市石津町〜中百舌鳥町一帯)に行幸して陵地を定め、同月18日から工事を始めました。
この時、鹿が野の中から走り出て、工事に従事している人々の中に走り入って、にわかに倒れました。
人々があやしんで調べてみると、その耳の中から百舌鳥が飛び去り、鹿の耳の中が喰いさかれていましたので、ここを百舌鳥耳原と名づけたと記されています。
仁徳天皇は、それから20年後の87年の春正月16日になくなり、同年の冬10月7日に百舌鳥野に葬られました。
(古事記には毛受もず耳原陵と書かれています。)
3段に築造した前方後円墳で両側に造り出しをもち、その墳丘をめぐって3重の周濠がつくられ、その外側に12の陪冢ばいちょうがつくられています。
墳丘に、周濠となっている所から土を運んだと考えると、毎日1000人が働いて4年かかると計算されています。
そのうえに、墳丘に並べる葺石の運搬、20,000個以上の埴輪の製作と運搬、中堤の築造、陪冢の造営などを加えると、莫大な労力がついやされたものと思われます。
徳川時代の中頃までは、陵墓の管理が充分に行われていませんでしたが、嘉永5年(1852)、ときの堺奉行川村修就はこれを憂いて、後円部上にあった勤番所を裏門に移し、天皇を葬ったと思われる後円部200坪に高さ3尺の石の柵を設けて、陵内を整備したと伝えられています。
明治5年9月、前方部正面の第2段のやや上がくずれ、立派な石積の竪穴式石室せきしつが発見されました。
長持型石棺せきかんというすばらしい石棺と、石室面のあいだから金銅製の甲冑・刀剣の断片20・ガラスの椀などが見つけられましたが、もとの通り埋めたといわれています。
この石棺と甲冑を精密に写した図が残っていますので、相当具体的に知ることができます。

(説明板より)

御陵全景写真 説明板より

陵墓

近畿地方を中心として、北は山形県から南は鹿児島県まで1都2府30県にわたり、陵188、墓552のほか分骨所・火葬塚・灰塚まどの陵に準ずるもの42、髪歯爪塔(はっしそうとう)など68、陵墓参考地46があり、総計896に及んでいます。
箇所数としては、同域のものもあるので456箇所です。
形状は、時代によって異なりますが、古くは、円墳や前方後円墳などの高塚式の広大なものが多く、中でも仁徳天皇陵(大阪府堺市大仙町)は三重濠を巡らす前方後円墳で、面積約46万4千平方メートルを有する最大規模のものです。
やがて、薄葬思想や仏教の影響による火葬も行われたことから陵墓の規模は小さくなり、平安時代末期からは、方形堂、多宝塔及び石塔などを用いて寺院内葬ることが多くなりました。
孝明天皇陵からは円丘や上円下方の高塚式となっています。
なお、陵墓は全国を五つの監区(多摩・桃山・月輪・畝傍・古市)に分けて、それぞれに事務所を置いて、静安と尊厳を図りながら管理しています。

○「陵」とは、天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所、「墓」とは、その他の皇族を葬る所をいいます。

(『陵墓のしおり〜古市監区編〜』宮内庁のリーフレットより)


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