岐阜県大垣市郭町2−55
平成19年4月2日
![]() |
拝殿 (平成19年4月2日) |
![]() |
忠魂顕彰之碑 戦のため若くして異国の地に散られし給ひし御霊の華は 郷土の幸を祈りて永久に美しく咲き給ふ 拝礼 (碑文より) (平成19年4月2日) |
濃飛護国神社由緒
祭神明治戊辰の役を初め日清日露各役を経てからの支那事変大東亜戦争により 西濃一市五郡から国民の犠牲となられた戦没者諸士18914柱英霊のお蔭で大垣市は新たな復興を遂げ都市の基盤造りもあり今日の隆盛をみるに至った
昭和58年12月吉祥日
奉納大垣市本町86歳
建築士篠田僊二
岐阜県知事上松陽助謹書
(忠魂顕彰之碑・裏の碑文より)
![]() |
傷痍之碑 日傷援護議員協議会会長 衆議院議員 武藤嘉文 書 財団法人岐阜県傷痍軍人会西濃支部 平成元年3月吉日建之 (平成19年4月2日) |
![]() |
恒久平和之碑 シベリヤ抑留者ダモイ会 (平成19年4月2日) |
平和記念碑建立の志
昭和20年8月15日に、第二次世界大戦は漸く終戦を迎える事が出来た。
しかしその当時旧満洲地区に居た約60万の日本軍将兵及び民間人は、直ちにソ連軍の支配下に入り、極寒のシベリア地区抑留の身となった。
ラーゲル(収容所)生活では、粗末な服装と僅かな食糧を与えられただけで、冬は零下60度の寒さに耐え、夏はブヨとダニの猛襲に悩まされ、シベリアの雪の中での大木の伐採や、バム鉄道(第2シベリア鉄道)の路盤工事、炭坑での石炭堀等の重労働を強いられ、明日の命が誰一人として保証されなかった中で、男泣きに泣きながら歯を食いしばり唯ひたすら「何時かはダモイ」(日本へ帰る)皆でダモイ・ダモイを合言葉に、それを一つの盾とし、又大きな励みとして、一日も早いダモイに望をかけ、厳しい労働に耐え忍び、漸く生き伸びて帰還することが出来たのである。
しかし中には飢餓と酷寒と重労働など、あまりにも生き地獄のような過酷な条件に耐え切れず、幾多の戦友がシベリアの地に散っていった。
その数は6万とも10万ともいわれて居る。
今思いを致せば当時のシベリアの悲惨さが、脳裏に深く焼き付き、改めて平和の尊さが偲ばれるのである。
私達シベリア抑留者西濃地区ダモイ会会員一同は、これらの悲惨な戦争は二度としてはならないと心に誓い合い、永遠の人類平和のために此処に平和の碑を建立し、後世に残すものである。
1991年(平成3年)8月9日
大垣市・西濃地区ダモイ会
会長 今川順夫
(銘板・碑文より)
東部第1地区 | ムリー | 渡辺仁三 |
東部第1地区 | ホルモリン | 安田亀吉 |
東部第9地区 | ナホトカ | 浅野弘 |
東部第11地区 | スウチャン | 堀一雄・加藤一馬 |
東部第12地区 | アルチョム | 安田留治 |
東部第14地区 | ウオロシロフ | 川合由夫・山田幸一・日比与吉 |
東部第15地区 | イマン | 石田政雄 |
東部第16地区 | ハバロフスク | 大熊寿・永井明・久保田秋夫・米山清治・林賢吾 |
東部第18地区 | コムソモリスク | 辛島太・横山周導・中村晋雄・古田幸男・松岡登 |
東部第47地区 | ソフガワニ | 浅井栄吉 |
中部第1地区 | タイシエット | 今川順夫・石山茂・西村要造・吉安一夫・山田茂樹・松原精一 松永順一・五島信一・笹田修・桐山武夫・大迫輝通・千川政行 |
中部第1地区 | イズペストコーヤ | 船渡泰三・水谷稔・桐山精一 |
中部第19地区 | ライチハ | 市田靖・萩野時雄・田辺金一 |
中部第20地区 | ブラゴエチャンスク | 島瀬東紀 |
中部第24地区 | チタ | 小倉良一・小川芳一・大石正義・渡部代次・久保田二郎 宮島良作 |
中部第25地区 | スレテンスク | 藤田年樹・後藤俊行 |
中部第31地区 | チェレンホーボ | 傍島久太郎・内海静男 |
中部第32地区 | イルクーツク | 林金悟・堀越定省・中牧保博 |
中部第52地区 | カダラ | 小田修・宮田政吉 |
西部第34地区 | クラスノヤルスク | 内田静雄・古沢武雄・近藤次男・小谷礼一・安藤実夫・樋口一雄 三輪鋼吉 |
西部第36地区 | アルタイスカヤ | 種田典正 |
西部第64地区 | マルシャンスク | 北島仙五 |
西部第99地区 | カラカンダエラブカ | 金崎順・細野精一 |
西部第372地区 | アングレン | 長沢一雄 |
西部第386地区 | タシケント | 吉田正秋・木村四郎 |
西部第511地区 | ロストフカ | 中村承祐 |
ウスベック | 大橋鉄造 | |
ボリタルツール | 竹島辰夫 | |
(71名) |
(銘板より)
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||