平成23年2月10日

小幡英之助 おばた・えいのすけ

嘉永3年8月10日(1850年9月15日)〜明治42年(1909年)4月26日

大分県中津市・中津城でお会いしました。






小幡英之助先生像

中津城




(平成23年2月10日)

碑文

小幡英之助先生は中津藩士小幡孫兵衛の長男にして嘉永三年八月十日中津殿町に生る
明治二年東京に上り慶應義塾に入り後佐野諒元近藤良薫に就きて醫學を学ひ米人セント、ヂヨーヂ、エリオットに歯科学を學ふ
明治八年自ら東京帝國大學の前身たる東京醫學校に出願して歯科醫師試験を請ふ
これ本邦歯科試験の嚆矢歯科醫制度の根源たり
先生多くの門人を教育し、その高足斯界の中堅となれり
又泰西歯科醫術の普及を圖り斯界今日の盛を致す基をなせり
明治四十二年四月廿六日東京京橋區南鍋町の邸に歿し青山墓地に葬る
先生の業に従ふ三十五年その大なる功績に酬いんか為め大分縣歯科醫師會の發企に賛し全國の同志相議り先生の郷中津に胸像を建てゝ永く其の風■を傳へむとす
先生地下に在りて莞爾ととして斯業の隆盛を喜ひつゝあらむ

昭和十二年四月廿六日
帝國学士院會員文學博士佐佐木信綱撰

旧・銘板

主唱    大分縣歯科醫師會
後援    小幡英之助先生胸像建設後援會
題字    貴族院議員 門野幾之進
設計製作 前美術學校教授 水谷鐵也
銅造    東京 佐藤武雄
石匠    甲府 望月光浩

新・銘板

銅像製作者 溝口 寛

【小幡英之助先生銅像】

小幡英之助は嘉永3年8月10日、奥平藩士小幡孫兵衛の長男として中津殿町(現:中津市歴史民俗資料館)に生まれました。
中津市小幡記念図書館に名を残す小幡篤次郎は叔父にあたります。
篤次郎は福沢諭吉を終始補佐した人物で、明治2年、英之助は篤次郎について慶應義塾に入塾しました。
その後篤次郎の勧めで中津出身の医師、佐野諒元に医術を学び、明治5年、横浜の医師、近藤良薫に外科医術を学びました。
英之助は技工に秀でていたため、西洋歯科医術を勧められ横浜のアメリカ歯科医師エリオットに入門を許され、明治7年には、エリオットに同行して上海にわたりました。
明治8年、帰国した英之助は東京医学校(現:東大医学部)に口中科ではなく、「歯科」の試験を自ら出願し、我が国初の「歯科」での医術開業試験が行われました。
日本で歯科医師免許取得者第一号となったのです。
東京京橋区で開業し、多くの門下生を育て、明治42年に病没。
大分県歯科医師会は日本歯科医学先覚者の業績と遺徳を継承するため、小幡門下並びに、広く全国の有志の後援を得て昭和12年この地に胸像を建立しましたが、戦時下の金属拠出に会い、現在の銅像は昭和41年に再建されたものです。

中津市教育委員会

(説明板より)




歯科界の先覚者
小幡英之助先生 生誕の地
(大分県中津市・中津市歴史民俗資料館)

中津市指定文化財 史跡
指定:昭和56年4月25日


(平成23年2月11日)




中津市歴史民俗資料館
(大分県中津市殿町1385番地)




(平成23年2月11日)



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