織田得能 おだ・とくのう

万延元年10月3日(1860年11月15日)〜明治44年(1911年)8月18日


真宗大谷派僧侶。
越後国生まれ。
旧姓は生田。
号は雲渓。
明治5年(1872年)得度する。
明治12年(1879年)福井師範卒。
明治24年(1891年)浅草宗恩寺住職。
明治31年(1898年)巣鴨監獄教誨師問題で学階・公職を免じられるが、3年後に復帰する。
明治32年(1899年)から仏教大辞典の編纂を企図するが病没。
没後、大正6年(1917年)に大倉書店から発刊される。


宗恩寺



宗恩寺

(東京都台東区西浅草1−6−7)





(平成19年12月28日)

織田得能おだとくのう

台東区西浅草1丁目6番7号 宗恩寺

織田得能は、明治時代の真宗大谷派の僧侶。
わが国初の仏教の辞典『仏教大辞典』を著した人物として殊に著名である。
万延元年(1860)、福井県坂井郡波寄村(現、福井市)の翫香寺がんこうじ住職である生田氏の三男として生まれる。
郷里で教員をつとめたうち、真宗大谷派の高倉学寮で仏教学を修め、明治23年、島地黙雷しまじもくらいとともにインド・中国・日本の仏教史を述解した『三国仏教略史』を編纂し、翌年、宗恩寺そうおんじ第24世住職となり、織田姓を名乗った。
また、同33年には、岡倉天心とともに、インド・中国の仏跡を訪ねまわり、その見識を更に高めた。
『仏教大辞典』の執筆は、明治32年から、得能が亡くなるまで、宗恩寺の土蔵の中でただ一人の力で続けられた。
生存中には刊行されることはなかったが、大正6年、彼の原稿を元に、上田万年うえだまんねん・芳賀矢一はがやいち・南条文雄なんじょうぶんゆう・高楠順次郎たかくすじゅんじろうによって刊行され、後学に大きく貢献した。
彼の遺骸は、当寺境内の歴代住職墓に合葬された。
平成6年10月には、得能の筆「念仏成仏ねんぶつじょうぶつ」の四文字を模刻した頌徳碑しょうとくひを建立した。

平成7年3月
台東区教育委員会

(説明板より)




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