小川栄一像 平成18年3月11日

小川栄一 おがわ・えいいち

明治32年(1899年)12月24日〜昭和53年(1978年)12月8日

東京都文京区関口・椿山荘でお会いしました。


小川栄一氏の像



小川栄一氏の像
(東京都文京区関口・椿山荘)





(平成18年3月11日)

碑文

小川栄一氏は明治32年12月24日(1899年)長野県上田市に生まれ 大正15年京都帝国大学法学部を卒業
安田信託に入社 その後日本曹建 鯛生産業等の役員を歴任された
請われて終戦後かつての財閥藤田家の整理をなし遂げ 昭和24年藤田興業社長に就任
藤田家の邸宅別荘等を活用し 戦後の荒廃した人心に安らぎの場を提供することを念願とし 昭和30年藤田興業観光部を独立させ藤田観光を設立 初代社長に就任
社業発展に心魂をかたむけられ生来の洞察力と優れた統率力により今日の社業の礎を築かれた
この間 同和鉱業副社長 国土総合開発をはじめ多くの会社の社長 役員として経営にあたるかたわら 内閣観光事業審議会委員をはじめ数多くの公職ならびに公益団体の代表者に就任し 広く政財界各分野にわたり卓越した指導者として精力的に活躍されたが昭和53年12月8日78歳の生涯を閉じられた
藤田観光創立30周年を迎えるにあたり 故人ゆかりの名園椿山荘に敬慕と感謝の意をこめてこの胸像を建立し 永くその偉業を称えるものである

昭和60年11月吉日
藤田観光株式会社

椿山荘



椿山荘

(東京都文京区関口2−10−8)





(平成18年3月11日)
椿山荘



椿山荘

(東京都文京区関口2−10−8)





(平成18年3月11日)

椿山荘について

林泉回遊式庭園の椿山荘は明治の元勲山県有朋公爵の命名によるものです。
ここ椿山荘周辺は古来より椿の自生する景勝の地として知られ、南北朝時代の頃から「つばきやま」と呼ばれておりました。
江戸時代の代表的な浮世絵版画家・安藤広重の作品『名所江戸百景』でも取り上げられています。
明治11年、山県公が私財を投じてこの地を入手すると、つばきやまの名にちなんで「椿山荘」と名付けて築庭に力を注ぎ、約2万坪の起伏豊かな地形を巧みに生かし、今日に見る名園に造り上げました。
当時、明治天皇をはじめ政財官界の第一人者たちがしばしばこの椿山荘を訪れ、重要会議を開いたと伝えられております。
その後、山県公爵からこの名園を譲り受けた藤田平太郎男爵が、三重塔をはじめ歴史をしのばせる文化財の数々を随所に配し、その風情を一段と高めるに至りました。
こうして受け継がれてきた伝統は、今日も都心で豊かな四季が味わえる数少ない名園を育みつづけ、近代的諸設備を誇る施設の数々と共に、椿山荘を名実共に日本を代表するガーデンレストランとして位置づけ、日々内外のお客様をお迎えしております。

(説明板より)


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