文化11年11月12日(1814年12月23日)〜明治43年(1910年)4月10日
梁川星巌やながわせいがんの門に入り幕末期は国事に奔走。
明治維新後上京して詩作に専念。
大沼枕山ちんざん・鱸松塘すずきしょうとうとともに明治の三詩人と謳われた。
京都で同じ星巌門の岡本黄石こうせき・江馬天江えまてんこうらと応酬し、大坂でも後進の指導にあたった。
明治43年、97歳で没した。
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小野湖山の掛軸 (滋賀県長浜市・慶雲館) (平成18年4月8日) |
小野湖山
幕末維新期の漢詩人。
文化11年(1814)、長浜の北に位置する現在の東浅井郡浅井町高畑に生まれる。
初めは父・横山玄篤の業を継いで医術を修めたが、梁川星巌が起こした玉池吟社の社友となり頭角を現す。
その後、三河の豊橋城主に招かれ、藩政に携わった。
幕末には尊皇攘夷思想を抱き、水戸の藤田東湖らと親交を結んだ。
勤皇の志士とも交際し、国事にも関与。
後にその功で従五位に叙せられ、一時は維新政府の総裁局権参事・記録局主任となる。
しかし、これを辞してからは政府の再要請を固辞し、詩壇の重鎮として詩作を続けた。
明治16年(1883)、天皇から硯を賜り、感激して書斎を賜硯楼と名づけている。
大沼枕山、鱸松塘とともに、明治の三詩人と称された。
明治43年(1910)97歳で没。
(説明板より)
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慶雲館 (滋賀県長浜市) (平成18年4月8日) |
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