大分海軍航空隊

(大分県大分市青葉町・大洲総合運動公園)


記念碑 平成20年11月18日

大分空港跡地の碑




「大分空港跡地」の碑

(大分市・大洲総合運動公園)




(平成20年11月18日)

大分空港跡地由来

この公園敷地は旧大分空港の跡地でありますがその前身は旧大分海軍航空基地で戦後運輸省が第2種空港として整備し東九州の航空要路として重要な役割を果たして参りました
その後大分空港が国東半島に移転したのを機会に公園用地として国からの払い下げを受けこのたび大洲総合運動公園として生まれかわったものであります

昭和13年12月  大分海軍航空隊として開隊される
昭和19年 3月  大分海軍航空隊は解隊され大分海軍航空基地となる
昭和20年 8月  太平洋戦争終結
昭和32年 3月  運輸省所管となり大分空港(第2種空港)として供用開始される
昭和46年10月  新大分空港は国東半島東海岸に移転
昭和48年 3月  公園用地として払下げを受ける

末広小華書

(碑文より)

神風特別攻撃隊発進の地碑




「神風特別攻撃隊発進之地」の碑
(大分市・大洲総合運動公園)




(平成20年11月18日)

碑文

昭和20年8月15日午後4時30分太平洋戦争最後の特別攻撃隊はこの地より出撃せり
その時 沖縄の米艦艇に突入戦死せし者の氏名左の如し

氏名 年齢 出身地
宇垣  纏 55 岡山
中津留達雄 23 大分
遠藤 秋章 22 愛媛
伊東 幸彦 20 宮城
大木 正夫 21 福島
山川 代夫 21 山形
北見 武雄 20 新潟
池田 武徳 22 福岡
山田 勇夫 20 千葉
渡辺  操 22 千葉
内海  進 21 岩手
後藤 高男 24 福岡
磯村  堅 22 山口
松永 茂男 20 福岡
中島 英雄 19 愛知
藤崎 孝良 19 鹿児島
吉田  利 20 滋賀
日高  保 20 鹿児島

旧制大分中学五十八期会一同
同 五十七、五十九期有志一同
旧海軍有志一同

昭和51年1月 建之
平成6年12月 改修之

701空会記念植樹



701空会記念植樹
(大分市・大洲総合運動公園)





(平成20年11月18日)
大分海軍航空基地跡

案内図

大洲総合運動公園



大洲総合運動公園
(大分県大分市青葉町1−1)





(平成20年11月18日)

航空基地跡遠景 航空基地跡遠景


指揮所跡(推定)


指揮所跡(推定)
(大分市大洲浜2−6・近く)

「富士航空機遭難の地」碑あたり




(平成20年11月18日)

碑文

鹿児島空港から飛来した富士航空機株式会社所属コンベア240型機は大分空港への着陸に失敗
此処旧裏川堤防に激突炎上した
時に昭和39年2月27日15時30分悲運の遭難者20名

昭和50年5月
裏川改修工事竣工に当り大分県建之


大分海軍航空隊

大分海軍航空隊は、昭和12年から発足した航空軍備拡充により、艦上戦闘機、艦上攻撃機の操縦、偵察実用機教程の練習航空隊として、昭和13年12月15日に開隊した。
昭和19年3月15日、大分海軍航空隊は筑波海軍航空隊(筑波空)に移転したため解隊。
以後、大分航空基地となり、第5航空艦隊司令部が置かれ、山陰・四国・九州の海軍航空隊を統轄指揮をする重要な基地となる。

(参考:『月刊 予科練』 平成20年5月号・9月号)


第5航空艦隊

編成:昭和20年2月10日 (鹿屋基地)
司令長官:宇垣纏中将

【編成】(宇垣天航空部隊=3月末の天号作戦以来の、宇垣指揮下の航空部隊の呼称)
第203航空隊(零式戦闘機 6隊)
第343航空隊(紫電戦闘機 6隊)
第171航空隊(彩雲偵察機 3隊)
第801航空隊(一式陸上攻撃機 2隊、二式飛行艇夜間偵察機 2隊)
第701航空隊(彗星艦上爆撃機 6隊)
第762航空隊(一式陸上攻撃機 4隊、銀河陸上爆撃機 4隊、および陸軍重爆撃機 2戦隊)
第901航空隊(天山艦上攻撃機 4隊)
第721航空隊(爆撃戦闘機 6隊、一式陸上攻撃機 3隊)

のちに第3航空艦隊、第10航空艦隊(各練習航空隊を解隊して編成)を編入する。

昭和20年4月6日正午、沖縄の米艦艇に特攻をかける「菊水1号作戦」を発令。
昭和20年8月3日、鹿屋から大分基地に後退。
昭和20年8月15日午後5時頃、最後の特攻機11機(彗星艦上爆撃機)が出撃。

最後の特攻出撃者
操縦員 偵察員 備考
中津留達雄 大尉(海兵70期) 遠藤秋章 飛曹長(乙碑9期) 宇垣長官同乗
伊東幸彦 中尉(海兵73期) 大木正夫 上飛曹(乙飛17期)  
山川代夫 上飛曹(丙飛) 北見武雄 中尉(海兵73期)  
池田武徳 中尉(学生13期) 山田勇夫 上飛曹(甲飛11期)  
渡辺操 上飛曹(甲飛11期) 内海進 中尉(学生13期)  
後藤高男 上飛曹(丙飛) 磯村堅 少尉(生徒1期)  
松永茂男 二飛曹(特乙1期) 中島英雄 一飛曹(乙飛18期)  
藤崎孝良 一飛曹(丙飛) 吉田利 一飛曹(乙飛18期)  
前田又男 一飛曹(丙飛) 川野良介 中尉(学生13期) 不時着・生還
川野和一 一飛曹(乙飛18期) 日高保 一飛曹(乙飛18期) 不時着・日高一飛曹のみ死亡
二村治和 一飛曹(甲飛12期) 栗原浩一 二飛曹(甲飛13期) 不時着・生還

特攻隊として公式に認められなかった中津留隊の隊員は、死後二階級特進が許されず一般戦死者並みに一階級しか上がらなかった。
宇垣中将に至っては一階級も上がらなかった。
連合軍への配慮があったといわれる。
特攻隊創設者といわれる大西瀧治郎中将や陸軍大将阿南惟幾の自刃と比べて、17名もの兵隊を死の道連れにした宇垣の自裁行為は、後世に批判を残すことになった。

(参考:松下竜一著『私兵特攻』 新潮社 1985年発行)



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